スイッチが入ったのは、初めて会った時。
 
 
 
 良く出来る新入社員がいてな。
 そんな一言が頭にこびりついた。
 父親が投げた、ほんのちょっとした言葉だったけれど、それでもその一言はルーファウスの脳裏にこびりついてしまったのである。
「ああいう社員がもっといれば助かるんだがな、なかなかそう上手くもいかん。お前もまだ神羅を動かせる歳でもないしなあ」
「歳なんか、関係ない」
 数少ない父親との会話の中、どうしてそんな会話ばかりを押し付けてくるのか。ルーファウスにとってそれはとても許せないことで、まるで自分が駄目だといわれているかのような気分にさせるものだった。
 神羅を継ぐことは世襲制の観念からしてももう既に決定していることだったが、未だその能力を認められていないというのは何だか悔しい。尤も、まだ能力を示すような場所がないのだからそれは仕方ないことなのだが、それでも悔しいと思えて仕方ない。
 ルーファウスは、今までに一度も誉められた事が無かった。
 生きてきてこれまで、記憶に残る範囲では一度としてそういうことが無かったのである。
 たった一言でも父親が「良く出来た」だとか「よくやった」だとか言ってくれたなら少しは心も緩和したのだろうが、それは一度として無かったから、ルーファウスの心はいつしかそれを表面的には求めようとしなくなっていた。
 もっともっと子供の頃、一枚の絵を描いたのを覚えている。
 父親の絵だった。
 正直上手くもなんともない絵だったし、色味なんかはぐちゃぐちゃだった。
 だけどもルーファウスはその絵を一生懸命描いたし、それが完成した事は少しだけ嬉しかったものである。
 美人な家庭教師の女性はそれを「良く出来たわね」と褒めてくれた。
 けれど、ルーファウスはその褒め言葉に関してはちっとも嬉しくなんてなくて、子供ながらにお世辞で笑うしかできなかったものである。それでもその家庭教師が「お父さんに見せたらどう?きっと褒めてくれるわ、良い出来だって、そう言ってくれるわよ。それにお父さんも喜ぶわ」と言ったから、ルーファウスはまた少し嬉しくなってそれを父親に見せたのだった。
 ―――――――けれど、父親はそれを褒めたりなんかしなかった。
 多忙の中疲労し帰宅した父親は、突然見せられたその絵に対し、僅かに眉を上げただけだった。それだけのリアクションをして、それからルーファウスに言った。
 "落書きなんかしていないで勉強をしたらどうだ。将来の私を不安にさせないでくれ"
 落書きなんかじゃない、一生懸命描いたんだ。
 色も散々悩んで選んだし、線だっていっぱい直したし、見たことも無い父親の笑顔を"想像して"まで描いたんだ。
 それなのにそれは父親にとっては落書きでしかなくて、父親にとっては何の役にもたたなくて、勿論ルーファウスの役になど全く立たなかったのである。
 ルーファウスは結局その絵をビリビリに破いてゴミ箱に捨ててしまった。それから、絵を描いたクレヨンも、削ったばかりの鉛筆も捨ててしまった。
 美人の家庭教師の言葉なんかもう絶対信じないと思ったから、どんなに勉強を教えて貰っても聞いたりしなかった。
 そんな出来事があって以降も父親の笑顔は想像上の産物でしかなく、ルーファウスの中に残ったのは、役に立たねばならないのだということだけだった。がしかし、役に立つということは縁の下の力持ちのような印象を受けるものである。つまりそれは、表舞台に立つのではなく、たとい姿が見えなくともどこかで影響力を持つというふうなことなのだ。
 それでは意味が無い。
 それではきっと、今までと同じに違いない。
 ルーファウスにとっては、姿が見えない事は無意味も同然だった。何しろ今迄だって自分の姿は全く見えていなかったのだ、あの父親には。だから姿は絶対に見えなければならないし、それは存在感のあるものでなければならないし、且つ父親の目に留まる場所でなければならなかった。
 場所は神羅でなければならない。…いや、神羅が関わればそれでよいのかもしれない。
 そう考えたルーファウスにとって、それは最早褒められたいとかそんな生ぬるい感情ではなかった。むしろそれは、見返したいとか、何としてでも踏み倒したいというような、そういう感情だったのである。但しそれはルーファウスの観点からしての感情であって、第三者からすればそこには何かもっと別のものが存在しているのは確実なことだった。
 そんな折、父親が褒めていた新入社員とやらが、ルーファウスの護衛としてやってきた。
 ツォンという名前の、黒髪の男。
 無口で真面目そうで、とても新入社員とは思えない落ち着きぶりをしていて、護衛の最中はどこも抜け目がなく完璧だった。
 ルーファウスは父親がその男を平生から褒めていることを知っていたから、隙あらばその男の弱点を見つけ出してやろうと思っていたものである。がしかし、残念ながらその男は完璧でそれが叶わなかった。言葉を交わすこともなく虎視眈々と隙を狙っていたのに、それも何だか無駄になってしまった。
 これが父親の褒めている男なのか、そう思う。
 確かに仕事は完璧だし、どこも落ち度が無い。強いて言うなら面白みには欠けるが、それは仕事上必要性の無いことだしそれを訴えたところで自分が空しくなるだけである。
 ルーファウスは副社長就任前研修との名目で何度か各地を飛ぶことをしており、ツォンが当たった護衛任務もその一環に過ぎなかった。ツォンが当たったのは別段遠出の任務ではなくミッドガル域内のものであったから、その護衛任務の最終地点は神羅邸となったものである。
 最後に神羅邸に辿り着いた時、ツォンはルーファウスに一礼をした。
 ルーファウスは礼もせずにそんなツォンを無表情で見てみたものだが、最後の最後にその無表情を崩さずにはいられなくなってしまった。
 カタン…、と、そう音が響いたから。
 その音はツォンが立てた音で、それは神羅邸の玄関口に置かれていたフォトフレームを立て直した音だった。
 フォトフレームの中には、父親と母親とルーファウスの姿が映った写真が入っている。
 それは一度きり家族で撮った写真で、記念だからといって死んだ母親が玄関口に飾ったものだった。けれども母親の死後、父親の不和が続いていたルーファウスはそのフォトフレームを倒していたのである。だって、そんなのはまるで嘘のような写真だったから。
 父親は何度も何年もその玄関口を通っているくせに、そのフォトフレームが倒れていることになど気づきもしなかった。だからそれは、依然倒れたままだったのである。そう、何年もの間。
 そのフォトフレームを、ツォンは何故だか立て直したのだ。
 間違って倒れているとでも思ったのかもしれないが、それにしても他人の家のものを弄るなんて普通であれば考えられないことである。
 ツォンはそれを立て直し、まるでそこが定位置とでも言うように位置まで調整して、そして、ちょっとだけ笑顔を見せた。それは微かなものだったが、ツォンの顔をじっと見ていたルーファウスにはその変化がまざまざと見て取れた。
 それからツォンは、再度一礼をして帰っていった。
 ルーファウスはそんなツォンがどうしても不思議でならず、あまり話したくはないと思ったが、それでも自ら父親にツォンのことを問うた。そうしてみて初めて分かったことなのだが、ツォンというのは複雑な家庭環境を持っているらしく、父親も母親も本当の親なのではないらしかった。
 父親は言っていた、ツォンはその義理の両親への恩返しの為に神羅に入ったようなものなのだと。だからそれはツォンの意思ではない可能性もあるのだと。
 それを聞いて、ルーファウスは少し気後れした。
 父親が褒め称えるツォンという新入社員は、能力が優れているだけではなく、そんなとこでさえ褒め称えるべきものを持っているのである。面白みが欠けるだなんてとんでもない、これでは詰る部分すらないではないか。
 大変な境遇で、それなのにそこまで頑張っている。
 そういう人間を、"大人"という生き物は絶対に褒め称えるものなのだ。しっかりしているだとか、出来た人間だとか、逸材だとか、そんなふうに。
 そこからすればルーファウスなどは、例え父親との不和に悔し涙を飲んでいるとしても絶対に褒められたりするはずがない。むしろ、恵まれた環境だとか将来が約束されているだとか、表面的なところでしか判断されないのだ、何も知りもしないくせに。ルーファウスの心など汲んで貰えない表面からすれば、ルーファウスが卑屈なことを言えば言うほど、むしろそれは逆効果になってしまう。要するに単に我侭だと取られてしまうだけなのだ、気後れするのも当然だろう。
 だから、思ったのだ。
 あのツォンという男を見返してやろう、と。
 あんな男、所詮は部下でしかなく自分の方が上なのだと、知らしめてやろう、と。
 父親がいる神羅の中で、そうしなければならない。
 絶対に。
 そうじゃなきゃ、報われない。
 そうじゃなきゃ、あまりに心が苦しい。
 
 
 
 父親とは相変わらず不和が続いていたが、それでもある話を耳にしたときばかりは、父親の力を借りるしかなかった。
 ある日、父親は言った。ツォンが辞めると言い出してな、と。
 それを聞いた時ルーファウスは、何としてもツォンを神羅に留めなければと大いに焦ったものである。何しろツォンがいなくてはあの日の決心が無駄になってしまうのだから。
 父親は、散々に褒めていたツォンの辞職願いを受け入れようとしているらしかった。
 だからルーファウスは、それを止めるべく父親の力を借りるしかなかったのである。しかしそれは父親の気分を害さない程度の言葉でなければならなかったから、ルーファウスはなるべくツォンを立てるような言葉を並べた。
 ライバルにしたいんだ、とか、あの男を見習いたい、とか、そんなふうに。
 だからツォンの退職は"許せない"と、そう言った。
 父親は、自分が以前から褒め称えていた男を素直に慕う息子を見て、反対などはしなかった。むしろそれは感激に近いもので、それだったらば、と快諾してくれたくらいである。
 そうして策は功を奏し、辞職願いにOKが出されたその日の内に、ルーファウスは見事ツォンと対面を果たすこととなったのだった。
 ―――――――――でも。
 不思議なことだったが、神羅に入ってしまうとそれどころではなくなってしまったのである。ツォンを敵視していることには変わりないのだが、そのツォン自身があまりにも部下でしかない現実にルーファウスは気づいてしまったのだ。
 父親は社長なのだから仕方ないとしても、他の全社員はルーファウスにとって部下でしかない。部下は副社長であるルーファウスには目下としての態度を取ってくるし、待遇は当然相当なものである。故に、ルーファウスは常にある意味での賞賛を得られるというわけだ。
 それは、かつて父親に求めていたものとは全く異質なものだった。
 がしかし、似通ってはいただろう。
 誰かは副社長という立場であるルーファウスを褒め称えるし、誰かは敬ってくれる。自分が何か物を言えばその発言はある程度影響力を持つし、大方のものは思い通りになると同じで不満といえば"社長ではない"というそこにしかない。
 こんなものだったのだろうか、と思う。
 副社長という肩書きは今までの不満を大方包括してしまうほどの力を有しており、まるで今までの自分が馬鹿らしく思えてくる。
 そう思えてきた頃にはもう、父親を見返したいという気持ちは沈静化していた。勿論、ツォンを見返したいという気持ちもなくなっていた。
 息子と父親という関係よりも、副社長と社長という関係でしかなくなっていたのである。
 
 
 
 一世風靡という言葉がある。
 まるでその言葉のように、神羅は散っていった。
 無残な終わりだ、そうルーファウスは思う。
 あれほど色々なことを思ってきた、そうしてトップまで上り詰めた、これで全てに気後れなどしなくて済むのだと思った。
 けれどもそれは、一瞬の内に塵と化してしまったのである。
 そうして全てが終わった時、ルーファウスに残ったのは、かつて感じていた気後れという嫌なものだけだった。何故そんなものが残ってしまったのかといえばそれは、近くにツォンがいたからだろう。かつてあれほど父親が褒めていて、自分が敵視していて、それでもどうでも良くなってしまったその人間が、神羅というルーファウスの満足が失われた後でさえ近くに残ったことが、あまりに大きな気後れだったのである。
 もし父親が生きていたら、きっとその時でさえ思ったことだろう。
 ツォンを見返してやりたいと、そう思ってしまったに違いない。
 がしかし、幸か不幸か父親は既に他界しており、残っているのは自分だけだった。その現状の中では気後れこそするものの、見返してやりたいなどとは思えなかった。何しろそう、見返しても満足を得るだけの対象が無いのだから。誰も見ていないそこでツォンを見返したとしても、自己満足だけしか残らない。それではやってもやらなくても同じだろう。
 だから、その時思ったのはもっと別の事だった。
 それはとても不思議なことだったが、かつての父親と同じようなことを思ったのである。
 出来る男だ。
 こんな男がもっといたらば、神羅だってあるいはあんな事にならなかったのかもしれない。
 そう、思った。
 そう思うと同時に、ふと、憧れに近いものを覚えた。
 会社が無くなったというのに、赤の他人でしかない自分の傍にいてくれるだなんて、まるで信じられないことである。会社が無くなればそこにはもう肩書きなどは存在しない。社長も何もないし、上司も部下もないのだ。
 それなのにツォンは傍にいて、よりにもよって笑いかけてくれる。励ましてもくれる。
 そんなツォンを観て思い出したのは、かつて聞いたツォンの家庭環境の話だった。そういえばツォンというのは複雑な家庭環境の中にあり、他人でしかない親の為に神羅に従事していたのだったか。
 ―――――――ああ、だから…だからなのか。
 昔、ツォンがフォトフレームを立て直したのを覚えている。
 他人でしかないルーファウスの家族像に笑みを漏らしたその人は、今もまた、他人でしかにルーファウスの傍で笑いかけてくれている。それはまるで、かつてフォトフレームを立て直したみたいに、崩れかけたルーファウスの中の何かを立て直してくれているかのようだった。きっとツォンは、義理の親に対してもそうやって笑って、立て直すことをしていたのだろう。
 すごい、単純にそう思った。
 そう思い憧れに近いものを抱いた時、ふとルーファウスの思考に入ってきたのは、もしかしたらかつてのあの日に感じたものも、これと同じだったのではないだろうか、という事だった。
 もしかしたらあの時感じていたのは――――――本当は、憧れの念だったのかもしれない。
 あの時は父親が存在していたから、その感情が霞んでいただけなのかもしれない。もしそうだとすればこれは、全くもって正反対の感情だったということになる。
 見返したいどころか、これでは…父親に言った偽者の言葉と同等だ。ツォンを引きとめるために放った言葉と、同じだ。
 
 
 
 多分それは、二度目のスイッチ。
 
 
 
 見返したいと思った相手。
 だけれどそれは本当は、憧れていた相手。
 憧れの相手にするべき事が何なのかは良く分からない。
 でも、分かっていることは1つある。
 それは…
 
 憧れは、恋に似ている、という事。
 
 
 
 
 

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