スイッチ スイッチを思い出す。 それはもうずっと昔に押したスイッチで、忘れ去られてしまいそうだったけれど、それでも忘れてはいけないスイッチ。 優しい思い出というのは、どうしていつも尾を引くように蘇ってくるのだろう。 思い出には種類があって、その中には苦いものや嫌なものだって沢山あったはずなのに、何故だか優しい思い出というのは尾を引くようにやってくる。 しかもそれは、いつだって切り離そうと思う時にこそやってくるのだ。 ―――――――また、決意が緩んでしまいそうだ。 ツォンはそう思いながら苦笑した。 今迄何度となく決断しかけてきたのに、それでも決断できなかったことは、全てその優しい思い出の所為なのだと思う。もしもそんな優しい思い出がなければ、きっとこんなふうに決意が鈍ることなどなかったのだろう。 だけれど、もうそろそろ時効なのだ。 優しい思い出に引きづられて決意を鈍らせるのは、もう終わりなのだ。いや、終わりにしなければならないのである。 「…21時か」 ツォンは腕時計に目をやると、それが午後21時を指していることを確認した。 最近ミッドガル近くに出来た噴水広場は、夜になると綺麗なスポットライトが当てられてとても雰囲気が良くなる。だからなのか、最近ではそこを待ち合わせスポットとして使う人が増えているようだ。 例に漏れずそこで待ち合わせをしていたツォンは、約束の21時になったことで少しだけ表情を引き締めた。待ち人はまだ到着していないが、それでももうそろそろ来ることは確実である。そう思うと、そろそろしっかりと心に芯を通さねばならない。 いつもだったら、待ち合わせはこんな堅苦しいものではない。 待ち合わせを果たした後は楽しい時間が待っているのが常だったし、大概それは幸せな時間だったから、こんなふうに表情を引き締めて待ち合わせ時間を過ごすというのは稀なことである。 がしかし、今日だけはどうしてもそうしなければならない理由がツォンにはあった。 それは少し心苦しくて、どこか辛くて、少しでも弱気になれば避けてしまいたいと思ってしまうような事だから――――――。 だから心に芯を、通さねば。 折れないように、負けないように。 「……」 もう一度腕時計に目を遣ると、時刻は21時を2分ほど過ぎていた。 噴水広場のスポットライトは綺麗に光っており、その前で佇んでいるツォンをじっと照らしている。背を向けているせいかツォンの前方には濃い影が伸びており、それはしっかりと伸ばした背を地面に投影していた。 何故だろう、影さえも堅苦しく感じる。 気のせいだろうか。 そんな事をツォンが思っていると、ふっとその影に何かが近づいた。それは勿論同じ濃い影だったが、ツォンでは無い他の誰かの影である。それを確認してふっと顔を上げると、そこには待ち続けていた人の姿があった。 その姿を見て、ツォンはふっと笑顔になる。 「ルーファウス様」 そう声に出すと、先ほどしっかりと通したはずの芯がぐにゃりと歪んでしまうような気がした。だけれどそれはいけないと分かっているから、歪んでしまいそうな心を立て直すようにツォンはそっと手に力を込める。 そんなツォンの眼前には、すっきりした笑顔を見せるルーファウスがいた。 「少し遅れてしまったな、悪かった」 「いえ、大したことではありません。それより仕事は順調でしたか」 「ああ、まあな」 そうですか、そう頷いて笑ったツォンは、話題を切り替えるタイミングを計るかのように腕時計に目をやった。時刻は21時を10分過ぎたところである。 ツォンの仕草を見ていたらしいルーファウスは、遅れた私が言うのも難だが時間がないな、などと言って、これからどうするかという事を続けて口にした。 時間は既に夜も遅く、二人で共にいられる時間はもう少ない。明日も仕事がある都合でどうしても帰る時間が特定されてしまうから、タイムリミットはあと数時間というところだ。 いつもだったら夕食でも、となるのだが、この時刻だともう既に夕食は済んでいる。勿論例外はあるのだが、今迄の経験から言って、21時以降に待ち合わせる時には食事は共に済んでいることが普通だったのである。だから今日の場合、食事というわけにはいかない。 しかしそれは、ツォンにとっては好都合だった。 何故ならば、今日ツォンにはどうしてもじっくり話したいことがあったのである。 食事をすれば当然食事に時間を取られてしまうわけで、じっくり話をする時間は自然と狭まってしまう。それでは全く意味がなくなってしまうし、そこからすれば今日の21時という待ち合わせは都合が良いといえた。 「宜しければ、今日は少し歩きませんか」 少し考えたあと、ツォンはそんな事を口にした。 最近ミッドガル近くに出来たのは何もこの噴水広場だけではない。その他にも色々なものが出来ていて、まるで一種のデートスポットのように様々な場所が名所のようになっている。その一つに自然公園というのがあって、以前だったら絶対に考えられなかったことだが、植物が綺麗に並べられているのだ。最初は育てられた植物を一本づつ丁寧に植えたとかいう話で、その後は種を植えれば自然と生えるようになったらしい。尤もそれが実現するまでには多大な苦労があったのであり、それは有志団体によるものだったから彼らの貢献度の高さには心から感謝をせねばならないだろう。勿論彼らだけではなく、彼らの活動の根本となったこの土地の調査団体や改善事業を行った人々にも。 今では、色々な人間がそれぞれの主張をして暮らしている。 誰か一人がトップに立ち統治をする時代は終わりを告げたのだ。 「最近ミッドガルに自然公園というものが出来たのはご存知でしょう。私はまだ行った事が無いのですが、もしルーファウス様も同じでしたら…どうですか?」 「ああ、そうだな。私もあそこには行った事が無いんだ。話に聞いてはいたんだけどな」 ツォンの提案に直ぐそう返したルーファウスは、早速そこに向かおうとする。 それを見てツォンは少しだけ悲しくなった。悲しくなって、それだけれども顔は笑っていた。 ルーファウスはきっと、ツォンが何処に行こうと言ったってそれにYESを返すつもりだったんだろう。ミッドガルの自然公園に関しては、ルーファウスが現在行っている事業にも少し絡みがある。ルーファウス自身が指示をしていないとしても、彼の部下の部下あたりの人間が実際にそれの活動に関わっているのだ。 そうとなれば、ルーファウスだって一度くらいは足を運んだことがあるだろう。そもそも部下はそれを報告したのだろうし、そこからすればそれを知らないなんて事は考えにくい。 それでもルーファウスは、行った事が無いなどとツォンに言った。 嘘だな、そうツォンは思う。 だけれどそれを責めるつもりもないし、別にそこに引っかかりを感じたわけでもない。問題なのは、そうしてまでツォンの言葉を受け入れてしまうようなその人自身なのだ。 きっとルーファウスは、もう一度食事を、と言ったってYESを返したに違いない。 「どうしたんだ、ツォン?ほら、早く行くぞ」 「ええ…そうですね」 ――――――――こんなふうに傍にいられることは、とても幸せだった。 振り返って笑うその人を見て、とても幸せだと感じる。 手を伸ばせば直ぐに捕まえられるその人が、とても好きだと感じる。 いつの間に、こんなふうになってしまったんだろう。 いつの間に――――――… こんなふうに好きになってしまったんだろう。 こんなふうに傍に来てしまったんだろう。 ミッドガルの自然公園に着くと、そこには少しばかり人の姿があった。 辺りはしんと静まり返っており、時折聞こえる虫の声が妙に自然を感じさせる。 この自然公園は散歩やペットの散歩などに適したふうで、等間隔に置かれたベンチと電灯の他には何も無かった。それでもその敷地はとても広く、妙に開放感がある。 夜風がさわさわと流れて来、それがそっと髪を揺らす。 頬にかかった髪を手で拭ったツォンは、その髪が思いの外すぐに元に戻った事に何か妙な違和感を感じ一瞬それが何故なのだか自分でも理解できなかったものだが、何てことはない、その理由は簡単なことだった。 そういえば、髪を切ったのだ。 つい最近、長い間伸ばしてきた髪をバッサリと切ってしまったのである。といってもまだまだ長い部類には入るのだろうが、それでも今は髪を縛る事すらできない長さである。肩から僅か数センチほど上までしかなくなった髪は、自分自身でも変な感じがしてしまう。きっと長い間、ずるずると伸ばしてきたからなのだろう。 この髪を初めて見た時、ルーファウスが少し寂しそうな顔をしたのを覚えている。 別に理由など口にしなかったし、嫌だと言われたわけでもなかったけれど、それでもツォンにはそれが気に食わないのだと分かっていた。いや、気に食わないというよりも、単に以前の方が好きだったのだろう。 ルーファウスはその時、懐かしいな、とそう言っていた。 確かに―――――――ルーファウスの言う通りだったけれど。 「…もう十年も経ったのですね」 ルーファウスと肩を並べて歩きながら、ツォンはおもむろにそんな事を口にした。 髪の事を考えていたら、ふとその年数が頭に浮かんだのである。 しかしその年数を口にしたことは、ツォンにとって突破口となっていた。それは勿論、これからツォンが話そうとする事の突破口である。 そうとは知らないだろうルーファウスは、そのツォンの言葉に少し考えたふうな顔をして、それから少しした後に、頷きながら「そうだったな」などと言った。 「十年一昔なんて言葉がありますが、私たちの出会いも遂に一昔前の事になってしまったのですね」 「まあ、そうだな」 「覚えていますか?初めて会った時、貴方は私に挑戦状を叩きつけたんですよ。懐かしいですね」 思わず笑いながらツォンがそう言うと、ルーファウスは少し剥れたようにしてツォンを睨んだ。うるさいな、とでも言いたいらしい。 「仕方ないだろう?その頃は私もまだ青かったんだっ」 「今ではそう思えますけどね。でも、貴方はあの頃から自信だけは板についていましたよね?」 「そういう性格なんだから仕方ないだろうっ」 全く昔の話を引っ張り出して何なんだ、ルーファウスはそんなふうに毒づく。 そんなルーファウスを見て、ツォンは惜しげもなく笑った。 出会いから十年。 この年月はとても長いもので、経ってしまえば早い気もするが、その間に起こった矗一を思い出そうとすると果てしないもののような気がしてしまう。 その頃―――――――ツォンの髪は、丁度今と同じくらい短かった。 タークスに入ったばかりの頃で、まだまだツォンが若輩者と称されておかしくなかった頃、ルーファウスとの出会いは唐突に訪れたものである。 その頃、ルーファウスはまだ神羅の経営に携わってはおらず、ただ社長令息としてしか知られていない一人の少年だった。しかし神羅の社長令息という立場はあまりにも大きく、特に社長の身辺警護を任されていたタークスにとってはぞんざいに扱うことは許されない人物でもあったのである。 いつだったか、新人でしかなかったツォンはルーファウスの身辺警護という任務に当たったことがあった。社長の護衛は先輩が行うということだったから、それよりも緩やかであるルーファウスの警護は新人のツォンに任されたのである。 ツォンはその護衛を完璧に遂行し、何一つ問題なくそれを終えた。 我侭だと噂されていたルーファウスもこれといって何も言ってこなかったし、それどころか一言も言葉を交わさなかった。それはツォンにとって何も問題がなかった証拠でしかなく、だから別段気に留めるような事はなかったが、それが後にツォンの行動を変えさせることになったのである。 その任務から数年経った後、ツォンはタークスの中でそれなりの立場を確立していった。部下の育成というものも始まり、タークスという組織としてはそろそろ充実が図れそうな様子であった。 しかしその頃、ツォンの中には一つの選択肢が発現していたのである。 タークスにとって自分はそれなりに価値のある人間になってきているのは分かっていたし、任務はそれなりの責任を伴うものの充実感もあり、仕事としては申し分が無かった。要するに何も問題など無かったわけだが、それでもツォンの中に芽生えたその選択肢は、ツォンにそれら全てを捨てさせる決心をさせたのである。 神羅を辞めよう。 そう、思った。 辞表を書き、自らそれを社長にまで届ける。タークスの先輩にも話は通したがそれは完璧にシャットアウトされてしまい、辞めるのは許さないとまで言われてしまった。だから、最後の望みをかけて社長の元にまで向かったのである。 社長は、ツォンの願い出を承諾した。 但し神羅に関する情報を絶対に口外しないという条件付で、もしもそれが発見された時には直ちに神羅から抹殺令を発するというふうに言われた。それを承諾したツォンは、同意書に名を書き判を押し、願い出を受け入れてくれた社長に感謝の言葉を告げた。 こうしてツォンは、神羅の退職を許可されたのである。 ――――――――がしかし。 許可されたその日の内に、何故かとても不思議なことが起こったのだ。 それは、ルーファウスとの再会である。 ルーファウスは、そろそろ神羅の経営に携わるのではないかと噂されていたものの実際にはまだ経営に関わってはいない時期だった。たまに神羅に現れることはあるものの、そういう場合は社長と話をしているだけらしくタークス以下普通の社員と対面ということはまったく無い。だからそれは、ツォンにとってあまりにも不思議な出来事だったのである。 ルーファウスは、その日に限ってタークスと対面をした。 そして、今日正に退職許可が降りたツォンを見て、何故かこんな事を言ったのである。 "おい、お前。私はお前より上だということを今後必ず証明してみせる" 対面して突然そんなことを言われたツォンは、はっきりいって呆然としてしまった。 一体何を言っているのだろうか、この御曹司は。そう思った。 しかしルーファウスはそんなツォンをものともせずに自信ありげにツォンを見やると、指まで突き刺してこう叫んだのである。 "将来的にお前は私の部下になるんだ。お前は部下でしかないんだからな!" "あ…あの、私は…" "良いか、それまで待ってろよ!逃げるなんて卑怯な真似をしたら許さないからな!" だから一体何なんだ。 いきなり宣戦布告をされて待っていろだとか部下にするだとか言われても、ツォンだって困ってしまう。そもそもルーファウスはまだ神羅の人間ではないのだから。 我侭な御曹司だと聞いていたけれど、どうやらそれはこういう事だったらしい。ツォンはかつて聞いたその噂を思い出し、きっとこれも単なる我侭なのだろうと最終的な解釈をした。そもそもツォンだけに宣戦布告などワケがわからない。 だからツォンは、その言葉を無視することにした。 どうせ単なる言葉でしかないのだから、と。 …が、その言葉を受けてから数時間後、丁度退社時間の頃だったか、ツォンは突然退職許可を取り消されたのである。つまり、神羅に留まるしかなくなってしまったのだ。その処遇に焦ったツォンは勿論社長室まで出向いたものだが、そこで聞いたのはあまりにもあきれ果ててしまう様な理由でしかなかった。 "悪かったな、ツォン。息子がお前を許せないと言うんだ" "許せない?" どういう意味だ、と思う。 そもそも過去に一言も話したことがないというのに、許せないも何もないだろう。一度だけ関わったあの護衛任務でさえ口を利かなかったというのに。 "息子は何故だかお前を敵視しているらしくてな。暫くライバルでいてやってくれ" "そんな、私は…" "何、どうせその内収まるだろう。それまでこれはおあずけだ" そう言って社長は辞表をダッシュボードに捨てた。それを観てツォンは大きな落胆を感じたものである。 タークスでしかない自分が社長令息のライバルだなんてどうかしているし、大体そんなふうになった経緯が分からない。そもそもそんな理由で退職を取り消すのもどうかと思うし、息子が関わっているからといって明瞭ではない事を頼むというのもどうかしていると思う。 しかし、そうとはいっても社長に断られてしまってはどうしようもない。 |