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12月24日、社内はいつもと変わりがなかった。 一部の女性社員だけは時計をしきりと気にしており、終業時刻と同時にきっちり笑顔で退勤をしていたようだが、それでも殆どは変化がない。 その日ツォンは、女性社員と同じく時計を気にして時間を過ごしていた。秒針の音すら気になるほど、意識がそちらに向いている。午前中はそれでもまだ落ち着いた気分でいられたが、午後になってレノが例のVIPカードをちらつかせ始めてからは、どうにもこうにも落ち着かなくなった。その上、廊下ですれ違う人々がクリスマスがどうのなどという言葉を零したりするのを聞いてしまったりして更に時間が気になってくる。 もし今日の予定が既に決定であったならこんなに落ち着かないことは無いのだろう。それが証拠にレノなどはもう既にしっかり時間まで決めているようだったし、それはいかにも計画的であるような気がした。 しかしツォンの場合は、未だに何も決まっていない。それというのはつまり、今日という日をチャンスだと思ったにも関わらず未だにルーファウスに対して話を通していない、ということである。 チャンスだとそう思ってから幾日かあったはずなのにそれができなかった事は、今日という日になってひどく後悔を生んだ。結局こうして当日に悶々と焦りを抱くことになるくらいならば、どんなに意気消沈してしまいそうであっても前日までに何とか話を通しておくべきだった。 しかしこの幾日かの間にツォンが全く何もしていなかったかというと、そういうわけではない。 家に帰って、受話器を手にとり、もうソラでも言える電話番号を押す。 一日目、そこまでして、結局何かが邪魔をして受話器を置いた。 二日目、今度は呼び出し音を聞いたまでしたが、それでも相手は出なかった。 三日目、決心をしてその人の所まで赴いたが、すれ違いで会うことが出来なかった。 四日目、どうしようもなくて、とうとうその人の家まで車を走らせたが、それでもインターフォンが押せなかった。 インターフォンのボタンを一度押せば、あるいはその人の顔を見ることが叶ったかもしれない。そうしたらば、今日という日の約束とて出来たかもしれない。 しかし何故かそれが出来なくて、結局ボタンも押せなくて、暫くはそのドアの前で佇んだ。しかし長らくそうしているのも妙な話だしと停車しておいた車に戻ったのだが、それでも何だかその場から離れることは自分が許せなくて、今度は車の中でじっと止まっていた。 寒い冬空の下、外気との温度差でガラスを曇らせた車は、段々とツォンの視界からルーファウスの居場所を隠していく。だけれど、靄がかかったように白み出したフロントガラスをそのままに、ツォンはそれでもルーファウスの家の方をじっと見詰めていた。 届けたい言葉がいっぱいあるのに、それを上手く伝えることができない。 伝えようとする自分に、自信がない。 以前はそんなふうになど思わなかったのに、一体この一年で何がそんなに変わってしまったのだろうか。一年前は、年の暮れをルーファウスと過ごそうだなどとは自ら思うことなどなかった。まさかそんなふうには出来るとは思ってもみなかったし、それよりも何よりも、仕事のことや自分のことに意識が向いていたのである。 それが今年は、180度変化してしまった。 勿論仕事や立場がどうのといって神羅に残ることは別に嫌ではないし、そうするなと言われない限りはそうするつもりだった。実際には休み希望がどうのという話をされてしまったからその意識は薄れてしまったが、ともかく神羅に残ろうとしていた理由の中にルーファウスとの時間という項目が増えたことは、ツォンにとっては大きな変化だった。 「…8時」 ふと、時計を見遣る。 時計は既に8時を示しており、そろそろ社内は予定のない者だけが残っているという感じだろう。レノやルードもしっかり退勤をしており、多分今頃は楽しい時間の始まりを謳歌しているといった具合だろうと思う。 急がなければ、そう思いツォンはすっと席を立つと、今さっき終わったばかりの仕事の書類を脇に寄せ、その変わりに一枚の紙を手にした。それはいつだったかルーファウスが言っていた年末の休みに関しての書類で、希望があれば提出を、と言われていた紙である。 勿論ツォンにはそこに書くべき日付など存在していなかったが、それでも何故かその紙には記入されている事柄があった。 ツォンはそれを見返してから静かに一つ頷く。それから上着を腕にかけ鞄を手にすると、すっとその部屋を後にした。
少々気が重いともいえるルーファウスの部屋までの道のり、ツォンは頭の中で何度も言葉を繰り返していた。それというのは、ルーファウスに会ったら真っ先に言おうとしていた言葉である。 言葉は、単純で良い。まずは今日という日に時間をもらえればそれで良いのだから。 “今日、食事でも如何ですか” 取り敢えずはそんなもので良いと何度も頭の中でそれを繰り返したツォンは、それでもこの幾日かずっと持てなかった自信を思い返してはそれを払拭する。休み希望がどうのという話をされて以降マトモに話をしていないから、どうしても弱気が浮上してきてしまうのだ。 しかしそれを数回繰り返すうちに目的の部屋の前まで来てしまい、ツォンはそこでそれらの反芻を全てストップさせざるを得なくなった。 目前に聳え立つドアを前に、緊張の面持ちで二度ノックをする。一瞬の躊躇いがそのノックを遅らせたが、それでもそうしてしまった以上はもう後戻りはできない。 もし悪い結果になってしまっても、仕方無いと括るしかない。 例えこのまま年が明けてしまっても、それを受け入れて新しい年を過ごすしかない。まるで色あせたような一年になるとしても、それでも。 「入れ」 数秒の後にそう室内から声がし、ツォンは「失礼します」と一言口にしてからそのドアを開けた。 そうして開いたドアの向こうにすぐにその人を確認すると、途端に緊張感が走る。しかしそこを何とか制御しながら室内に進み出ると、もう一度「失礼します」と頭を下げた。 久々に対峙したルーファウスはツォンの姿を確認して一瞬少し驚いたような顔をしたが、それでもその表情をすぐ元に戻すと、用件は何かなどと形式ばった言葉を放つ。 ツォンは、先ほど何度も頭の中で繰り返した言葉を思い返すと、それを放とうと口を開いた。 ――――――…が。 「休みの日程が決まったのか?」 チラ、とツォンを見遣りながらルーファウスはそんなことを言い出す。 「あ…いえ、その」 「何だ、違うのか。…それ以外に何か用でもあるのか?」 休み希望以外の用件などありえないとでも言うようにそんなことを言うルーファウスに、先ほど何度も繰り返したツォンの言葉は段々と消えていく。こんな様子のルーファウスに、今夜は一緒に食事でもどうか、など―――――とても言い出せない。 だって、ルーファウスは休み希望のことは覚えていても、今日という日がクリスマスで、それが恋人であれば大概は一緒に過ごすであろうことはさっぱり頭からなくしているのだから。 「…これを、提出しに」 すっかり先ほどの言葉のタイミングを失ってしまったツォンは、そこに自分がいることへの理由を探すように、すっと手にしていた紙をルーファウスに差し出した。それは、年末の休み希望の為のものである。 ルーファウスはそれを無言で受け取ると、紙面を確認し、それからチラとツォンを見遣った。 「…これは、どういう事だ?」 「書いたままです。それが、希望ですから」 何とかそれをハッキリと告げたツォンは、ルーファウスのリアクションをじっと待つ。多分良いリアクションなど返らないだろう、それがわかっているから尚更待ってしまう。 ツォンのその予測は当っており、ルーファウスはやはり良からぬ表情を浮き彫りにした。 紙をパサリとデスクに放ると、 「意味が分からないな」 そんなふうに言う。 そのルーファウスの言葉は尤もで、確かに提出されたその紙に書かれた内容は意味が通らないものだった。いや、意味が通らないというのとは少し違うかもしれない。つまりそれは、趣旨と違う、という理由で筋違いの回答だったのである。 それは休み希望日を記入する紙だった。 しかしツォンはそこに、出勤希望日の記入をしていたのだ。 それは、あの壁掛けカレンダーの、予定が記入されていない全ての日付でもって埋め尽くされている。 「折角休みを取っても良いと言っているのに、その答えがこれか?…全く、少しは好意に甘えるということを知ったらどうだ」 「それは、存じております。ただ、一日たりとも休みなど欲しくはないのです」 「何故?」 「……それは」 その答えを、此処で口にすることができるだろうか。そんな疑問がツォンの中で渦巻く。 “貴方と会えないから”――――――そう言うことが許されるのかどうか。 ツォンは暫しそれを躊躇い、結局その言葉とは別個のことを口にした。 「…ルーファウス様。今年は何故、こんなふうに休みを取れと仰るのですか」 それは、そもそもの原因でもある疑問である。 その言葉があったからこそ、何もかもが上手い具合にいかなくなった。その言葉があったからこそ、自信を無くし、想いに疑いが生じた。 その答えを聞けたなら、どんなにスッキリとすることだろうか。但し、その答えは良い答えであるとはいえないが。 そんな気持ちを抱えていたツォンの目前で、ルーファウスは突然椅子をクルリと回転させてツォンに背を向けた。ルーファウスのデスクの背後はガラスばりの壁になっていて、そこからはミッドガルの景色が一望できる。その180度の景色は、嘘偽り無いミッドガルの姿を映し出していた。 窓の向こうに広がるのは、この時期特有の煌びやかな、光。 ところどころ点滅している光は全面に広がっており、町の各所で幸せな時間が流れていることを伝えている。 その景色を視界に受けながら、ルーファウスは背後のツォンに向かってゆっくりとこう零した。それは先ほどのツォン同様に、会話の流れからすれば的を外した言葉である。 「―――――今日、何の日か知ってるか?」 「今日…は。世間的にいえば、クリスマス・イヴだと思いますが…」 的を外しているとはいえ今日という日が話題に昇ったことに少々の驚きを覚えながら、ツォンがそう返す。するとルーファウスは、そうだな、などと答えながらゆっくりと言葉を続けた。 「一部では騒がれる日だが、別に大した日じゃない。ちょっとくらい光が目立つというだけの、たったそれだけの日だ」 「まあ、そうかもしれませんが…」 「でも、思っていた。今日という日には…会いたくない、とな。―――――お前には」 「……」 目線の合わない状態で繰り出されたその言葉は、ツォンに衝撃を与える。その言葉を聞いた瞬間、ああ、もう駄目なのだ、という気持ちが一瞬にして駆け上った。きっとルーファウスにはもう気持ちなどなくて、だからあの休みも推奨されたのだ、と。 それは恐れていたとはいえ少なからず感じていたことだったが、まさか此処までハッキリと言われるとは思ってもみなかった。あまりにも衝撃で、あまりにも心がズキリと痛む。 俯いたツォンは、床の一点をじっと見詰めると、くぐもった声で「そうですか」とだけ返した。それがやっとのことで、他の言葉が出てこない。見つかりもしない。 最早、今日この後の時間を一緒に過ごしたいなどというのは儚すぎる希望だった。 しかしルーファウスの方はそんなツォンには気付いていないようで、 「休みの希望すらないのに、何でわざわざ来たんだ。来ないで欲しかった」 などと言い出す。 尚更痛みだす心に、ツォンはそれでも何とか無理に笑みを浮かべると、細い声で謝りの言葉を入れた。すみません、と、一言だけ。 「謝るくらいなら、最初から来るな」 「…はい、すみません」 「さっきの予定だが、やはりお前は休め。私が割り振っておく」 「しかし、ルーファウス様…」 「じゃあこれで用事は済んだだろう?もう帰れ」 「……」 取り付く島も無い。何を言っても無駄である。 主張を通したつもりのあの勤務希望も、やはり休み希望と変わってしまうらしい。 結局―――――――――これは、悪い結果。 もう一年前のようには、いられないのだ。 それを痛感したツォンは、暫くその場を動けずに佇んでいたが、もう一度強く帰れと言われたときに、重い足取りで一歩を踏み出した。 ルーファウスに背を向けて一歩、もう一歩。 そうして歩いていく一歩一歩がやけに重い。 この部屋を出たら、もうルーファウスには会わないかもしれない。何せ今日という日は今年最後のチャンスで、明日以降は特別な予定が入っていない。あのカレンダーが示すように仕事の割り振りがされていないのだ。そしてルーファウスはツォンの休みを自ら割り振ると言っていたから、それは多分ルーファウスとはかみ合わないように出来上がることだろう。 きっと、この空間が最後だ。 そう思いながらドアまでを歩いたツォンは、ドアノブに手をかけ、その向こうに体を押し出す。そうして後はドアを閉めるだけだという段になってから、すっと顔を上げた。 そしてその顔を、ゆっくりと背後に回す。 視界には―――――――ルーファウスの背。 「…失礼致しました」 一瞬でも何かを期待した自分に、ツォンは少しだけ、笑った。
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