「…ルーファウス様…それは、バイオレットの瞳です。…青じゃない」

「――――え…?」

一瞬、何を言っているのか理解できずに眉を顰める。

「ですから目が…目の色が…紫、というのでしょうか…。青では、ないんです」

「…な、に…?」

そうハッキリと言われて、ルーファウスはやっとその意味を理解した。

新しいその目は、青い瞳ではない。青ではなく、紫。

ツォンの視界に映るルーファウスは、右に青色、左に紫色の眼を有していたのである。

それはまるで、普通の人間ではないふうに見える。

何か特殊な、そんなふうに。

「そんな…何でだ!?あいつは新しい目を…!」

慌てて部屋に備え付けられたバスルームに駆け込んだルーファウスは、そこにあった鏡でその奇妙な瞳を見つめた。確かにそれは青と紫というアンバランスなものであり、その色の雰囲気からして妙な感覚を生む。

――――――――あの男…!

一瞬そうして宝条への怒りが浮かんだが、そういえば宝条はそんなことは一言も口にはしていなかった。彼は“新しい目”を入れたというだけで、その目がどういうものであるとかどういう色であるとかは一切口にしていないのである。

新しい目が入り元のように目が見えるとなれば、元来の蒼い目が戻ってくるのだと思う方が自然であろうが、そもそも新しい目というもの自体が不可思議な存在なのだ。こんなことが起こってもおかしくはない。

…そもそも、あんなに感じていたではないか。

――――――“嫌な予感”を。

「…ルーファウス様」

鏡の前で呆然としていたルーファウスの視界に、鏡越しのツォンが映し出された。

ツォンは悲しそうな顔をしてルーファウスの背へと近付くと、そっとその体を抱きしめる。しかしそれでもルーファウスは、この紫色の眼に呆然としたままだった。

「…すみません。私が眼帯を外したがばかりに…本当にすみません」

「……」

「私は貴方を悲しませた。…しかしルーファウス様、私はその紫の瞳をとても綺麗だと思う」

「…綺麗…?」

やっと茫然自失の状態から復帰したように反応を示したルーファウスが、うわ言のようにその言葉を繰り返す。

…綺麗なのだろうか、この瞳は。こんなにアンバランスな瞳なのに。

ルーファウスがそう疑問を旋回させる中、ツォンは背後でそっと頷き、もう一度同じ言葉を繰り返した。

「ええ、とても綺麗です」

 

紫の瞳、それでツォンを捉えながら、ルーファウスは久々の夜の淵に身を置いていた。

穏やかな雰囲気のその部屋を暗くし、ベットの中でお互いの体を求め合う。

この暗さでは眼の色などさして分からないだろうと思っていたのに、愛撫を続ける中でツォンは何度かその紫の眼を綺麗だと言った。だから、こんな中でも見えるのか、などということを漠然と思ったりする。先程あれほど衝撃を受けたこの目だが、ツォンがそう言ってくれたことで大方落ち着いたのだろう、今はそれほどの嫌な感じを受けない。…それともそれは自分では見えないからだろうか。

ともかく、繰り返される愛撫の中でルーファウスは久々に快楽というものを得ていた。

ツォンの長い髪の一部がするりと零れ落ち、肌を掠める。たったそれだけのことでさえ、妙な興奮を生む。

「うっ…ん」

胸の突起と共に下半身を弄られると、過敏なほどに興奮した。体がビクリとし、不思議なほどに“欲しく”なる。そういう感覚が飽和して押さえ切れなくなると、ルーファウスは自らツォンの下半身に手を伸ばした。

「早く…っ」

「まだ早いでしょう?」

「ん…も、良い…早くっ」

薄く開いた目の中で、ツォンを見詰める。その目はとろりとしていて、いつもの凛とした調子は微塵も見られない。体を合わせている事で発した熱がじんわりと汗を滲ませ、それが髪を乱れさせる。多分そういうところすら、いつもの雰囲気とは正反対のものを覚えさせるのだろう。

ツォンは、ルーファウスの体に己の勃起したものを埋め込むと、それをそのままにルーファウスの足を持ち上げた。そうして、折り重なるようにしたその体の上から言葉をかける。

「…貴方のこういう所、好きですよ」

「ん…あっ…」

薄く開いた目の中で、ツォンが微笑んでいる。

切れ長の黒い眼、それが笑んでいる。

「セックスの時、いつもそうして欲しそうにする。潤んだ目で私を興奮させてくれる。…そういう所、好きですよ」

「…あ、あっつ…!」

激しく揺れ動かされる腰の奥底で、蠢くような快感。

意識さえ奪われそうにその中に陶酔していたルーファウスは、降ってきたその言葉の意味をそれほど考えはしなかった。ただ体から脳に走るその感覚だけが全てといったように、それに没頭する。没頭すれば没頭するほどに無意識にツォンを求め、それはどんどんとエスカレートしていく。

もっと感じたい、そう思えば自らの腰を揺り動かし、自らの指で己の体を愛撫する。

ツォンはそれを上方から見詰めながら腰を動かしており、時折何かしらの言葉を投げかけてくるだけ。けれどその言葉も最早ルーファウスの耳には入っておらず、それは常に届かない言葉として消えていた。

――――しかし、ある一言が零れた時。

それは、ルーファウスの耳に入り込んだ。

「……所詮これだけしか……ですからね」

何だか良く聞こえない、けれど興奮と快楽の糸が一瞬途切れたかのようなそんな感覚を与える言葉。

「う…んっ…」

うっすらと開けていた目をもう少し開けてみると、そこにはじっとルーファウスを見詰めるツォンの視線があった。その目は快楽に溺れるというふうではなく、僅かそれを知っていながらもしっかりとしたふうである。

それを捉えたルーファウスは、今度こそハッキリと快楽と興奮の糸が切れたことを感じた。

―――――――何だか、違う。

何か…何か気になる。しかしそれが何か良くわからない。

体から感じる快感はそのまま残っているから、それに対する反応は勿論のこと継続されている。が、気持ちの上での快感はどこか冷め切ってしまった。

―――――――何だろう、これは…?

 

…………まだ足りないのか、全く呆れ果てる。淫婦と同じだな。

 

「…!?」

ふっと、何かが頭の中に流れ込んできて、ルーファウスは目を見開いた。

見開いた目は、尚更にツォンの顔を認識していく。

 

…………まあ仕方ない、所詮セックスしか脳がない人だ。肩書きなど親の七光りだしな。

…………しかしそれも好都合…挿れるだけで良いならば簡単な話だ。

 

「な…」

――――――――――何だ、これは…!?

ルーファウスは見開いた目の中でひたすらそれを考えた。体から脳に送られる快楽の信号はそれを邪魔したが、それでも酷すぎる。今しがた頭に流れ込んできたそれらの言葉は、あまりに酷すぎる。

しかし考えてもどういった事なのかは理解できなかった。

何しろそれらはルーファウスの脳にすっと浮かび響いてくる言葉の羅列であって、ツォンが口にしている言葉などではない。それが証拠にツォンは、ただじっとルーファウスを見詰めているだけである。

…じゃあこれは一体何なのか。

この声は?この言葉は?

 

…………これだけ愛していると言えば、そろそろ良いだろう。

…………恋人の振りも疲れる。

 

「ツォ…ン…!?」

再び流れ込んできた言葉に、ルーファウスは思わず声を上げた。

その声に反応して動きを止めたツォンは、驚いた顔をして「どうしました?」などと言ってくる。それも当然だろう、何せルーファウスの顔は驚愕の表情だったのだから。

「な…何だ、これ…。ツォン…お前は――――」

「ルーファウス様?一体どうされたのですか。どこか痛かったですか?」

「ち、違う…。違う、そうじゃなくて…」

そうじゃなくて、もっと重大な――――――…もっと重大な何かが起こっていた。

しかしあれが何かが分からない。ツォンの言葉でも何でもないのに、ツォンに聞かずにはいられないほどに胸に突き刺さる内容だった。

だから、恐る恐るその口を開いてみる。

「ツォン…お前は、その…――――――私を、好きか?」

「え?」

ルーファウスの言葉を聞いて、それこそ驚いた顔をしたツォンは、その次の瞬間には優しい笑顔になってこう言った。それはあまりにも優しい感じで、とても嘘とは思えない。

「何を仰るのです、当然の事を聞かないで下さい。勿論、愛していますよ」

「…そう、か……」

何だか妙にホッとする。

そうだ、先程のは何か幻聴だったに違いない。それが証拠にツォンはこう言っているのだ。

そう思ってルーファウスが再度ツォンをじっと見詰めると――――、

 

…………誰がこの人など愛するものか。馬鹿らしい。

 

「――――!」

見開かれた目の中には、優しく笑ったツォンが映し出されていた。

それを見て、ルーファウスはギュッと目を瞑る。

頭に響く声は、消えていった。

 

 

 

翌日、ルーファウスは午前の仕事の間中、昨晩のことを考えていた。

昨晩あのホテルの一室で起こった出来事はあまりにも驚きに満ちていた。それは新しい目のことでもあるし、あの奇妙な声のことでもある。

新しい目は、今日出勤した時点で何人もの社員に驚きの声を上げられた。その度に、目を手術してこうなったんだ、などという話をしなくてはならずそれはそれで疲れたものだが、それに関してはそれほどの徒労ではない。

問題は、あの奇妙な声の方だろう。

あれは―――――何だったのだろうか…。

あまりに酷い内容だったし、あまりにタイミングの良い言葉ばかりが並べられていた。セックスの最中にセックスの事を言い、愛しているかどうかという事を口に出して聞けば、愛していない、という言葉が響いた。

それでもそれはツォンではない、ツォンは口など開いていないのだから。

しかし――――――もし…もしツォンの本心だといわれれば、あまりにもその立場として合致しているのである。

「あれは一体…」

書類を目の前にしてペンの先でカチカチとデスクを叩いていたルーファウスは、その単調な音を耳にしながらも昨日のことを思い返す。

あんなふうに奇妙な声が聞こえたのは、初めてのことだ。まるで超能力者か何かのように奇妙な体験である。しかし今迄起きなかったことが突然起きるということには、何かしら原因というものがあって然るべきだろう。そう考えると、一昨日までと昨日からとで違うことはただ一点……紫の眼、だ。

「あの目には…何か隠されているのか…?」

ふと、宝条の顔が浮かんだ。

そうだ、あの男のことだから何か起こってもおかしくはない。もしかするとあれは宝条の企みか何かによる声かもしれない。しかしそう思っても一体どうしたらあんな奇妙なことが人工的に出来るのかわからない。勿論、あの宝条であればそういった事も可能にしてしまうのだろうが。

――――いや、そうでなくては困るのかもしれない。

もしあれらの声がツォンの言葉だったらと考えてみると、あまりに酷すぎる。無論ツォンは口を開いていないのだからツォンの言葉ではないが、それでもあの声はツォンの顔を見つめている時ばかりに流れ込んできたのだ。だから、恐い。

もしそれが…ツォンの言葉だったらと考えると。

「…まさか。そんなはずはない。ツォンはそんなふうに思ったり、しない」

まるで言い聞かせるかのようにそう呟いたルーファウスは、ふっとデスクを叩いていたペンの動きを止めると上方を見遣った。

何となく、ツォンのことを考える。

そういえば昨日は、快楽の途中でふっと言葉が耳に入ったところからあの妙な声が聞こえ始めたのだ。思えばそのキッカケとなった言葉は確かにツォンの口から放たれた言葉だった。しかしその言葉はハッキリとは聞き取れず、結局ツォンが何を言ったのかが分からないままである。

あれは…何を言ったのだろうか。

何故その言葉で、快楽は途切れたのだろうか。

その言葉を聞くまでもツォンはきっと何かしらの言葉を漏らしていたのだろうが、それは一切覚えが無い。快楽が先立って、それは耳に入らなかったから。

「何と言ったんだ、ツォンは…?」

思い出そうとしても、思い出せない。その後に聞こえた奇妙な声の方が大きすぎて、欠片すら思い出せない。

そういう結論に行き着いたルーファウスは、視線を上方から下ろすと、溜息を一つついて背をもたれさせた。

「目を怪我することさえなければ、こんな奇妙なこと…――――――」

思えば、あの日の怪我さえなければ良かったのだ。

あの日、疲労さえ感じていなければ怪我もしなかった。

要するに全ては疲労がいけないのだ。

「睡眠も取れていなかったしな…何しろツォンが…」

無意識にそう呟いたルーファウスは、そこまで言った後にハッと我に返った。

「…“ツォンが”、って―――…」

ドクン、と心臓が鳴った。

何だか妙な緊張感が始まる。

――――――今自分は、何と言おうとしていた…?

“何しろツォンが”――――――――…その後は?

「…ツォンが…」

口の辺りを押さえながら俯いたルーファウスは、床を見詰めながら言葉の続きを口にした。それはまるで自分に対しての回答といったように。

「ツォンが…ツォンが、私の事を―――――…あ…愛してなんかいないと…」

 

―――――ああ、そうだ…思い出した。

ツォンが、自分の事など愛していないと知っていたから…だから。

だから、悩んでいた。

だから、辛くて眠れなかった。

だから、セックスの間だけでも幸せでいたいと思った。

せめて体だけでも満たされようと、その為ならば羞恥も捨て去り淫猥に求めて求めて求めて…それでも良いと。

 

 

 

そうだ、思い出した。

 

 

 

back * return * next