目が覚めると、それはやはりベットの上だった。まさかやはり夢だったのかと思い、少し焦りが起こる。

が、その姿を見てホッとする。

ベット脇の椅子で、ツォンは足を組みながら本を読んでいた。分厚い本に目を落としながら無言でいる。俯きがちなせいか、長い髪がスルリと落ちていた。

声をかけようと思ったが、そのまま見ていたい気もして、ルーファウスは黙ったまま視線をツォンに固定する。

本の表紙には“berry of idea”とある。

何の本なんだろう。

何らや真剣な面持ちで見ているが、内容はさっぱり分からない。

それでも黙ったまま見つめていると、その内、ふと視線だけが動いた。

目が合って、ツォンの表情が柔らかくなる。それはとても自然で、何故こうも惜しみなく笑ってくれるのか、ルーファウスは不思議な気分になった。

まるでそういう人間みたいに―――というか、その通りなのだろうが…。

「お早う。…といってももう夜だな」

本をパタン、と閉じながらツォンは立ち上がる。それからルーファウスを起き上がらせると、それが当然のように小さく口付けた。

ドキッとしたのはルーファウスだけだった。

「何か食べるか?もうずっと寝てるだろう。何か作ろうか」

「あ、ああ…」

少し困惑しながらもそう答えると、ツォンは奥の方に歩いていった。多分、キッチンがあるのだろう。何か作ってくれるというが、どんなものを作ってくれるのか想像もつかない。

でも多分これが普通なのだろう。

その証拠にツォンは何の躊躇いもない手つきで作業を始めている。

そうか、これが普通なのか。そう思う。

二人で一緒に暮らし、食事をし、キスをして……それが普通なのだ。

やはりあれは夢だったのだろう。あまりにもリアルで、どちらが夢か分からないほどだったけれど、今の状況への安堵を考えればこれで正しいように思う。

だが、今ツォンと暮らしている自分は、どんな状況なのかがさっぱり思い出せなかった。

ツォンは何をしている人なのだろうか。そして自分は?

それから此処はどの地方だろう?

考えられるだけの地名を頭に思い浮かべたが、それは全部あの夢の中の世界の地名だった。

「ツォン」

やっとベットから起き上がり、ルーファウスはツォンのいる方へと足を向けた。

キッチンでは器用に調理をするツォンの姿があり、それは何だかとても身に染み付いた手つきだった。

「どうした。喉でも渇いたか?」

「いや、そういう訳じゃないけど…その」

本当は色々な疑問を全部ぶつけたかったが、どうやらそういう質問をする状況では無さそうだった。

「その、手伝おうか?」

今までそんな言葉を吐いたことなど無かった気がした。そんなふうに誰かより下にいる自分は想像がつかない。だがそれが自然に口をついたのは、そういう雰囲気がこの場所にはあったからかもしれない。

ツォンは、「そうか、じゃあ頼もうかな」と言い、材料の一式をルーファウスに寄越すと、どういった切り方をし、どういうふうに調理する予定かを素早く丁寧に説明した。

よく分からなかったが、言われた通りを素早く頭に叩き込むと、ルーファウスはそれを思い返しながら作業を始めた。

トントン、と単調に続くナイフの音を耳にしながら、ルーファウスは口を開いた。

「ツォン…職業は?何をしてるんだ?」

ふと投げかけられた言葉に、ツォンは驚いたような顔をする。

「…忘れたのか?俺はもうずっと前から物書きに転職したじゃないか」

「物書き?」

思わずルーファウスの手が止まった。何だかツォンには似合わない職業だと思う。

「お前が倒れてから色々葛藤があったからな。…ずっと側にいられる職でないと不安だろう。もう警備関係には戻れない」

「あ…あ。そうか…そうだよな」

そう返しながら、ルーファウスは何だか妙な気分になった。

ツォンは警備関係の仕事をしていた…でもどうやら、自分は倒れたらしい。

それで今は物書きに―――というか、物書きとは何だろう。

どんなものを書いているのだろうか。

「それで…その、俺は?」

「何、自分の事も忘れたのか?ルーファウスは元からその…身寄りが無かったろう。それからはずっと俺と一緒だ」

「……そうか」

暫く休めていた手を動かしながら、ルーファウスは俯いた。自分には身寄りが無いというそれは、まるで夢とは正反対だった。それではきっと金銭的にも苦労があったのかもしれない。それを面倒見ていたのがツォンだというのか。

まるで―――正反対な気がする、あの夢と。

そう考えるルーファウスをチラリと見遣りながら、ツォンは何だか良い匂いを漂わせる鍋から少量の液体を掬いだした。

それを口に含みながら、このくらいで良いかな、などと呟く。

「ルーファウス」

「ん?」

呼ばれて振り返った瞬間に、唐突に唇を塞がれた。

驚いて目を見開くと、その視線の中央にツォンの瞳があった。それは半分閉じられた目の淵から真っ直ぐにルーファウスを捉え、静かながら強い輝きを宿していた。

何だか、動けなかった。

その内、勝手に首筋に手が行く。それに応えるようにツォンの腕が、強く身体に巻きついた。

何もかも忘れて、目を閉じて、キスを繰り返す。

それは心のどこかにポッカリと開いた穴を塞ぐように、ルーファウスを満たしていった。だが、ツォンの心には違う気持ちがあったのだ。それはルーファウスには分からなかったが、良く考えれば自然な心の働きといえる。

やっと離した唇から、ツォンは気持ちを伝えた。

「どうしてそんな事ばかり聞くんだ…不安になる。まるで全て忘れてしまったみたいに…。一体どうしたんだ?」

顔は、不安そのものだった。

安心させたいと思うけれど、それに答えるべき言葉は難しい。何故なら実際にルーファウスには分からない事ばかりだったのだから。

あの夢のほうが、随分と明瞭に分かる部分が多い。それに比べてこの世界は、良く分からなかった。

どうしようかと迷った挙句に、ルーファウスは隠すようにこう言った。

「…ごめんな」

その言葉に、ツォンは何も返さずにルーファウスを見つめていた。

 

 

 

結局、食事をする時間は大幅に遅れてしまった。

それでも何品かの料理が机に並び、二人は質素ながら食事を楽しんでいた。

先ほどの雰囲気はもう無く、その後のツォンも普通に戻っている。だが、きっと心の中ではまだ疑問に感じているのだろうとルーファウスは思っていた。その一方で、あれ程までに自分とツォンの心が通じ合っているのが不思議だった。

確かにツォンとはそういった気持ちをお互い持っていたけれど、これほど顕著に、しかも包み隠さずに開放できるなんて不思議で仕方無い。

しかもツォンの方からそんなふうに強く求められるのは、何だか気恥ずかしい気もしてしまう。

でも、嬉しいことには変わりなかった。

「さっき読んでた本、どんなやつなんだ?」

ふと思い出して、ルーファウスはそう聞いた。あの分厚い本は、まだ椅子の上に乗っかったままである。

「あの本は“berry of idea”という本で…随分古い本だな。“知恵の実”という意味なんだ」

「“知恵の実”?」

「そうだ。世の中には説明できない事が多いだろう?そういう事について書いてあるんだ」

ふうん、などと言いながらルーファウスは椅子の上の本を見た。それから、こう聞いてみる。

「例えば?」

手を休めて、ツォンは「そうだな、例えば…」と良い例を挙げようと考え出した。

「例えば、“生まれた意味”とか…“存在理由”とか、そんなものだな。中には“死ぬ理由”なんてのもある。なかなか面白いぞ」

「何だか重い内容だな」

そうだな、と笑いながらツォンは食事を再開した。

「今書いている話の参考にしてるんだ、少しな」

そういえばツォンは物書きをしていると言っていた。どういう内容なのか気になっていた事を思い出して、良い機会だし、ルーファウスはその辺りを質問してみる。

ツォンの書くものなんて想像できない。

問われたツォンの方は、意に介さない様子で答えを返した。

「普通の物語だ、何の変哲も無い…。ある巨大都市の繁栄と衰退、というところかな」

「巨大都市…の、反映と衰退…か」

ふとルーファウスの顔が固まった。

何だか嫌な気分になる。

それは、まるで――――。

しかしその気分を取り除くように、ツォンはこう言う。

「ただの、夢物語だけどな」

確かにその通りだった。

 

 

 

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