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「今日ツォンを呼んだのは他でもない、一つの告白をしようと思うんだ」 「告白、ですか…」 「そう。私にしては珍しいだろう?」 少し笑ったルーファウスの顔を見ながら、ツォンは思わず眉を顰めてしまう。相手が笑っているのにそんな顔をしてしまうのは良く無いと思ったが、それでもその告白という言葉が気になってしまったのだ。 もしかして、あの遺書のことではないだろうか―――――そう思ったから。 ツォンのそんな想定は正しく合っていたらしく、ルーファウスは早々にもその事についてを口にし出す。しかもその調子ときたら、然程重要でもないとでも言うふうだった。 「実はな、一ヶ月ほど前から遺書を書いているんだ。弁護の男の立会いの元…そうだ、その男はお前も知っているだろう?」 「ああ、あのレインコートの」 レインコートが印象的だったからか、ツォンはそんなふうに表現する。 するとルーファウスは、それが理解できたのだか「そうだ」などと同意した。 「私はいずれ遺書を完成させ、あの男に預けるつもりだ。そして私が死んだ暁には、それを公開してもらう。人生は用意周到にしなければな」 「遺書…そうですね、そういうものも必要かもしれません」 本当に必要なのかどうか、そんな事は考えられもしなかったが、何時の間にかその言葉が口をつく。そんなものは必要などないじゃないですか、とはとても言えない。 そんなツォンの気持ちを知っているのかどうか、ルーファウスはツォンを見ながら「本当にそう思っているか?」などと聞いてきた。 思わず、答えに詰まる。 「遺書というのは死後を想定して書くものだ。主に財産分与に関してだが、私には幸か不幸か後継者というのがいない。その私が財産をどうのというのはいささか馬鹿らしいと思わないか?」 私はおかしいと思うけどな、そんなふうに客観的に述べるルーファウスが、ツォンには良く分からなかった。だって、おかしいと思うならしなければいいだけの話である。それなのにルーファウスは遺書を自ら書きはじめたのだから、そんなふうに言うのはナンセンスでしかない。 こういう時、ツォンはふと思う。 今迄の時間、もっとお互いを知る機会があったならこんなふうに疑問になることもなかったのだろうか、と。もう既に納得している精神的伴侶という関係に今更そんな杭を打つわけにはいかないが、それでも「もしも」という事を考えることはある。 そう―――――もしももっと相手を知っていたら、そんな矛盾を抱えるルーファウスの意図も分かったのではないか、と。 そんなふうにふと思ったツォンの脇で、遺書の話は続いていた。 「神羅が滅した後、親父の遺産は酷く役立った。あれが無ければ私は今もこうは生きていられなかったろう」 「ええ…」 「今の私の財産の大方はあの組織に注がれている。その事に関しては、私の死後、問題が残る事になるだろう」 「だから遺書…なのですか?」 あの組織に対して何らかの出資を行い続けるというのであれば、その遺書の存在も分からないでもない。確かにそれは理解できるところだ。 しかしあの組織に関していえば、正に今から拡大していかねばならない所なのだから、今は遺産のことより財産のことを考えた方が良いように思える。要するに、死後のことではなく今のことを。 だけれどルーファウスは、そんなふうには考えていないようだった。 「生きている間よりも、死後の方が大切だ。何となく最近はそう思うようになった。…お前は信じるか、死後でなければ出来ないことも存在しているという事を?」 「死後でなければ出来ない事?」 「そうだ」 頷きながらルーファウスは、例えば…、と視線を宙に躍らせる。 それから、思い立ったようにツォンに視線を戻した。 「良い例があった。親父だ。彼は生前大きな事を成し遂げたが、人々の心には残らなかった。…いや、厭な意味で残ったかもしれないな。ともかく彼の生前の功績と死後の印象は大分違う。要するに、だ。死後になってやっと分かる価値もある」 「なるほど」 そう言われれば分からないでもない、ツォンはそう思って頷く。 確かにプレジデント神羅は生前大事を成し遂げた。それは世界を牛耳る巨大組織の確立という他の人間にはおよそ出来ないような壮大な出来事だったのである。 しかし今、その巨大だった組織の影はまったく無い。 強いて言うならば、彼の息子であるルーファウスとそのそばにいる自分くらいのものだろうと思う。そういった一部のものを除いて、世界の中から神羅というかつての組織は消え去ってしまった。プレジデント神羅がその一生をかけて作り上げてきたものはもう既に消えてなくなってしまったのである。歴史の中に埋葬されたその事実は、思い出されるとしても良い記憶ではなくなっているし、そう考えるとルーファウスの言う死後に決まる価値の上では過小評価ということになるだろう。 しかし、ルーファウスはどうだろうか。 例えばルーファウスの死後を想定するとすれば、それは今拡大しつつあるあの組織がそれに当たるのだろうか。ルーファウスがあの組織の出資者だということは表面上誰も知らぬ事実である。だからもしその遺書にその事実を書き、死後にそれを公開するのであれば、ルーファウスは死後の印象を大幅に上げる事が出来る。 尤もそれを言うなら今この時点でその事実を公表すれば良いのだが、ルーファウスは頑としてそれを避けている。あの組織に直に携わる人間に会うのは、いつもルーファウスの代理人だけなのだ。 「ツォン、お前は自分の死んだ後の世界を考えたことがあるか?」 「…少しだけ。ただ私の場合は、自分の死の覚悟の方が多かったですから、死後の世界というよりも自分の死そのものを考える事の方が大きかったかもしれませんが」 死線を彷徨った、そんな過去の様々な記憶を呼び起こしながら、ツォンは静かにそう言い放つ。それを聴いてルーファウスは、そうだったな、と少し困ったような顔をした。どうやら申し訳ない事を聞いたと思ったらしい。 そんなルーファウスに戸惑って「気にしないで下さい」と慌てて言ったツォンは、そんなふうに言葉を紡いだ自分が何だかおかしくなった。 何で今更こんなふうに気を遣っているのだろう。 精神的伴侶というならば、そんなふうに気遣わなくても良いのに。 別に、相手に何かを望んでいるわけではない。望んではいけない。 ルーファウスに対して笑顔だとか穏やかさとか、そういうものを望むべきではないのだ。その上ではそんなふうに見繕うのは間違っている。 だけれどそうせずにはいられない自分を作り出したのもまた、過去からの流れだった。過去ルーファウスと共に歩んできたその道程がそうさせたのである。 そんなツォンに向かって、ルーファウスはすっと手を伸ばした。その手はそっとツォンの右手に重なり、掌をギュッと包む。 それは突然の事で、勿論のことツォンを驚かせた。 もうどのくらい振りだろうか――――――その身体の一部に触れたのは。 キスくらいした事もあったが、それでもこんなふうに容易く身体の一部に触れるということは滅多なことでは有り得ない事だった。普段からそんなふうにしたことは無かったし、お互いそれを求めたりもしなかったのだから当然だろう。 それが今日は、ルーファウスの方から求められたのだ。 「ルーファウス様…」 驚きと緊張の中、ツォンは思わずそう呟く。 緊張などしている時点で安定などまるでしていないじゃないか、と心のどこかで苦笑しながら。 「ツォン、手を貸してくれ」 「え?」 ルーファウスはそう言いながら掴んだツォンの手を持ち上げると、それをすっと自分の胸に押し当てた。それは丁度左胸の心臓の辺りで、強く宛がわれたツォンの右の掌に微かな鼓動が伝わってくる。 ドクン、ドクン、と鳴る心臓。 それは生きている証拠であり、先ほどまでしていた遺書の話とはまるで逆の状況を示すものだった。 「心臓が動いているのが分かるか?」 「え、え…分かりますが…」 分かるけれど、それが一体何だというのだろうか。 もしかして心臓に何か問題でも…例えば病気であるとかそういう問題があるのだろうかと心配になる。しかし、ルーファウスはそんな事は言わなかった。ただ、死、というものについて話をし始める。 真っ直ぐと注がれた視線からは逃れる事が出来ず、ツォンの耳にはハッキリとその言葉が入り込んだ。 「死線を彷徨った事のあるお前なら分かるだろう。私も一度は死を覚悟した事があったが、あの時は急すぎて分からなかった」 あの眩い閃光に目にしたあの時は、覚悟はしても実感が沸かなかった。 すぐに意識不明になってしまったルーファウスには、じわじわとやってくる死の予感を考える余裕などなかったのである。 「だが、最近遺書を書いていて思ったんだ。“死”とは一体何か、と。それは肉体の死か?それとも精神の死か?…いや、両方かもしれない。ともかく私に分かるのは、今動いているこの心臓が止まるということだけだ」 「ルーファウス様…」 「私には不思議でならない。死とはどういうものかと考えているこの思考すらも、死んだら無くなってしまうんだろう。死んだらどうなるのかと考えている思考すら途端に無くなる。この思考が止まるんだ、全て。自我が無くなり、自分というそのものが失われる。その事が私には不思議でならないんだ」 単純に“死”と言うならば簡単でも、死そのものがどういう事かを考えると不思議で仕方無い。死んでしまったら全てが終わるという事実は分かっているが、実際にその思考が二度と働かないという事をじっくり考えると不思議で仕方無い。 そんなふうに語ったルーファウスは、 「だから遺書というのは―――――存在そのものではなく、自我が残すことだ」 そう締めくくった。 どうやら遺書の話と繋がっていたらしいその会話に、ツォンは少しだけ悲しくなる。しかし悲しいという気持ちの隣には、何か不思議な気持ちが横たわっていた。 死と聞いて悲しみや苦しみや痛さというものを直ぐに想定することはできても、こうして不思議な感覚になることは初めてである。しかしその不思議な感覚の正体が一体何であるのかツォンには理解で きなかった。 ただ、ルーファウスの言う遺書というのが、普通一般で使われる遺書とは違うのだという事実だけは理解できたところである。 財産を有しているルーファウスならば遺書というのも頷けるとは思っていたが、そうではなかった。財産の事を書くのであれば頷けると思っていたのに、そうではなかったのである。 ルーファウスの言うそれは――――――「自我」なのだ。 肉体的に生きていたという証拠というわけでもなく、ただ思考的な「自我」を残す為の手段。そんな事は今まで考えつかなかったが、言われてみればそうとも考えることができる。 死と生が対義語である上で、自我が生に属するのならば頷けるのだ。 「さっき言っただろう、後継者もいないのに遺書をかくのはおかしいとな。――――此処で問題だ。多くの人間は財産の事を遺書として書き示す。大方それが遺書と言われてる。だが財産はどちらに属する?肉体か?思考か?」 「どちらと言われても…」 そう聞かれて、ツォンは答えに詰まってしまう。 肉体、思考…財産はどちらにも属さない気がする。 但し、肉体を物質的な物とし、思考を精神的な物と考えると、財産は物質的なものであるから肉体に属するといえるだろう。 「肉体?」 迷いながらもそう答えると、ルーファウスはふっと笑って「そう」と言った。 「多くの遺書は肉体に属する財産をそこに書き示す。だが私は違う。精神の属する自我を残す。…だから私は、後継者がいようがいまいが遺書を書くことに意味がある気がしたんだ。本来後継者がいない私がそんな事をするのは馬鹿らしいけどな」 「ああ…」 なるほど、そういう意味だったのか。 矛盾していると思っていたが、そういうのであれば何となく理解はできる。 そうツォンは思って、先ほどルーファウスに対して矛盾を感じた事を恥じた。分かっていなかったのは自分の方だったのだと。 しかしそれと同時に、ふいに妙な事に気付いた。 そういえば先ほどはルーファウスに対して矛盾を感じたから、お互いを知らずに此処までやってきた事について少し後悔に似たものを感じたのだったと思う。仕方の無いこととはいえ、今までの時間にもっと相手を知っていたならと、そう思ったのだ。それは、ルーファウスもツォンも、相手に自分の事を告げてこなかったからこそ起こったことである。 がしかし、今こうして話しているそれは、何だか正反対であるような気がした。 いつもなら自分の話などしないルーファウスなのに――――――今日は正に、自分の事を話している。今までずっと不要であった事が、今日は何故か解放されている。 “遺書”という重苦しく不思議なものによって。 「…今日は、ご自分の事を話して下さっているのですね」 思わずツォンがそんな事を言うと、ルーファウスは少し意外な顔をした。 相変わらずルーファウスの胸に押し当てられているツォンの右手に、微かな鼓動の揺れが感じられる。 「…意外か?」 「ええ、まあ…。だって、今までタブーだったじゃないですか」 「タブー?」 驚いた顔をしてそんなふうに言うルーファウスに、ツォンも意外そうな顔を返す。驚かれた事に驚いたからだ。 まさかタブーと思ってきたことは間違いだったとでも言うのだろうか。 そうだとしたら、ツォンは長い間とんだ勘違いをしていた事になってしまう。今までの時間を無駄に過ごしてきたといっても過言ではなくなってしまうのだから、これは大きな事だろう。 まさか、そう思ってツォンが慌てて「私は…」と説明しようとすると、それは直ぐにルーファウスの言葉によって遮られた。しかも端的な言葉によって。
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