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餞…はなむけ… ---------------------------------------
貴方はきっと私を嘲笑うことだろう。 貴方はきっと私を蔑むことだろう。 ――――いや、それよりも汚いと思うかもしれない。
きっと貴方は何一つ知らないのだろう。 私の中に巣食うこの邪念も、この愚かな心の欠片すら。
いつの間にか形成されたこの心の闇の中で、貴方を―――。
貴方を。
そろそろ夜も深まろうとするその頃になって、やっとその部屋の明かりは消えた。それと同時にドアは開かれ、少し疲れた表情のルーファウスが上着を羽織ながら廊下へと足を踏み出す。 廊下にはつい今しがた仕事を終えたばかりのツォンが待機しており、それをさも当然のようにルーファウスはチラリと見遣った。 「ツォン、車を出してくれないか」 唐突にそう告げたルーファウスに、ツォンは何も表情を変えずに返答する。 「どこかお出かけになるのですか」 「ああ。…例の」 「――――そうですか」 分かりました、そう返事をしてツォンは車のキーを握り締めた。 ルーファウスが行く場所は理解している。それは最近になって頻繁になったことで、ツォンには口出しできないことでもあった。 どんな人であろうと、恋愛はする。 そんなことは分かっているが、それでもその事実はあまり認めたくなかった。きっとまだ神羅の人間は知らないことだろう。ルーファウスが女の下へ通っていることなど。 それは仕方無いとしても、そうしてルーファウスの方から通い詰めるのは、何だからしく無い気もする。その上、そういった時は大概、ツォンが私用で駆り出される。 文句を言うつもりは無かったが、さすがにその度に気は重くなった。 ルーファウスのその行為が誰にも公表できないものであるのと同時に、ツォンにも言えない事実がある。それは叶うことはないだろうし、あまりにも愚かだと思う。 そうして去っていく後姿を見るこの立場がどんなに辛いか―――――きっと、誰にも分かりはしない。 あまりにも苦しい、こんな想いがあるからこそ。 ツォンはそっと溜息をつきながら、廊下を歩き始めた。
ルーファウスが熱を上げていると思われるその女性がどんな人であるか、ツォンは良く知らなかった。ただ思うのは、その人を熱中させるような人なのだから、なかなかの人物なのだろうと思う。 ルーファウスはあまり物に執着しない方である。それは仕事となれば別ではあったが、プライベートとなればあまりにもあっさりとしている。執着しないというよりも、興味自体無いのかもしれない。 だからそれは本当に、驚くべきことだったのだ。 大概その女性の下に行くと、4、5時間は帰ってこない。会社帰りに寄るわけで、その帰りはかなり遅くなることもある。帰りの足が無いからといって、ルーファウスはそのままツォンを待たせることが良くあったが、車の中で一人で待つ時間は酷く苦しかった。 やっと帰ってきた、そう思うと大概その身体からは何かの匂いがした。 恋仲の男女なのだ、何をしているかくらい分かっている。分かってはいるのに。 帰る時は、ハンドルを握る手に力が入ることもあった。 このままどこかに連れ去ったなら―――――その人は、どうするだろう。 そんな事を思い浮かべては、すぐに消し去る。馬鹿らしい。そんな事が、できるはずもない。 きっと、その人はあざ笑うことだろう。 いや、それとも蔑むかもしれない。 どちらにしろ、こんな愚かな感情を気付かれてはならないのだ。どんなに辛くても。
その日も、やはりツォンにとっては辛い現実が起こった。 やはり待っていて欲しいと言う。それはそれで快諾などしてみたものの、一人になればやはり苦しくて仕方なかった。 建物に入っていくルーファウスの後姿を見つめながらツォンは、今度は隠すことなく溜息を吐いた。 その女性がどんな人かは知らないし、こんなふうに思うのは間違っているとは分かっていたが、やはりどうしても羨望の念は消えない。 ルーファウスの愛情を手に入れた人。 何の障害もなく、その人と触れ合うことができる人。 しかしその人に嫉妬する前に、自分の方に呆れてしまう。どうして想ってしまったのだろうかと思う。普通なら抱きなどしない感情を、よりにもよって酷く難しい相手に抱いた上、こうしてその人の恋愛に手など貸している。 矛盾しているとしか思えないが、その人の為にできることなら何でもしたいとも思う。 「やはり矛盾してるか…」 そう呟きながら、ツォンはシートにもたれた。 今日はあと何時間待てば良いのだろうか。何時間待てばその人は此処に帰ってくるのだろうか。 あの建物に入った瞬間に、ルーファウスは知らない人間になってしまう。 仕方無いことだとは分かっているけれど。 そうしてツォンが目を閉じて身体から力を抜いていると、暫くしてから何かの音が響いた。最初は風の音かと思って目を閉じたままでいたが、その音があまりにも強く、しかも続けざまに聞こえるのでツォンは仕方なく目を開ける。 「…?」 一瞬、目を疑った。 何故ならそこにはルーファウスの姿があったからである。 まだ車から降りて30分と経っていない。まだ戻ってくるはずはないのだ。少なくとも今までの経験上ではそうだった。 しかし目前にその姿があるのにそれを認めないわけにもいかず、ツォンは慌ててドアのロックを解除した。 ガラスを叩いていたルーファウスは、やっと車の中に入れたことにふっと息をつき、それから何も無かったようにツォンにこう言った。 「ツォン。今日はもう帰る」 「え…しかし、まだ時間が」 「良いんだ。今日は帰る」 問題は何も無いといったようにそう言い切るルーファウスを、ツォンは何も言葉を返さずに見つめていた。何かあったのだろうか。月並みだが喧嘩でもしたのか。何だか妙に気になってしまい、目が離せない。 車を出せと言ったにも関わらず手に止めたままのツォンをチラリと見遣ったルーファウスは、少し睨むようにしてもう一度、強くこう告げた。 「出せ」 「…はい」 仕方なくエンジンをかけ、車を走らせる。帰るといったからには帰るのだろうから、行き先は勿論、ルーファウスの自宅だった。 その道中、ツォンはルーファウスをチラチラと見遣った。 何せ気になって仕方無い。本当なら直接口に出して聞けばよいことなのだが、そういう訳にもいかなかった。というのも、今までこうして車で送ったりだとかしている割にはその恋愛自体については何も話したことが無かったからである。今になっていきなり、どんな女性でどんな事があったかなど、とても聞けそうにない。あまりに不自然である。 だから何も聞かないことは、既にツォンの中では暗黙の了解になっていたのだ。 見遣る先のルーファウスは、特に変わった表情を見せているわけでもなく、全く普段と変わらないように見える。 何も無かったのだろうか、それともやはり何かあったのか。 「ツォン」 突然そう呼ばれて、ツォンは慌てて前を向き直り「何でしょう」と答える。少し不自然だったかもしれない。 「お前は何も聞かないんだな」 「え?」 「こうも毎回送っていれば、自然と気になるものじゃないか。例えば…どんな女なのか、とかな」 そのルーファウスの言葉に、ツォンは答えなかった。その代わり、心の中で思っていた。そんなのは当然だ、と。厳密に言えば、ルーファウスの表現は少々間違っている点がある。 送っていた末に気になったのではなく、それ以前から気になっていたのだから。 しかし、それを口に出すわけにもいかない。 「そんなことはどうでも良い事だろうがな」 そう言って笑うと、ルーファウスはその話題を打ち切った。ツォンが何も返さないのを分かっていたからかもしれない。 「この車、禁煙か?」 「いえ。どうぞ」 「ああ、悪いな」 シュッ。 そんな音が響いて、やがて煙が渦巻く。特有の匂いが鼻についたが、それだったら歓迎すらできる。いつものように、甘ったるい匂いが流れるのとは訳が違うのだから。 「…今日はやけに時間が早い」 まだ時刻は九時にもなっていない。いつもなら帰りは翌日にはみでるくらいなのに、それから考えれば確かにその日は早かった。 「たまにはゆっくりお休みになったら良い」 差しさわりの無いそんな言葉を返したツォンに、ルーファウスは、そうだな、とだけ答える。とはいっても、こうして女性の下に通うことは仕事とはまた別物だし、それを仕事とプライベートという名の休みとに分類するなら後者になるのは分かりきっていたが。 それきり会話は途絶え、車はただルーファウスの自宅へと向かった。 しんと静まる空間で、ただ煙草の匂いだけが漂っていた。
ツォンにとってそれはいつもと変わらぬ日のはずだったが、しかしどういう訳かいつもと違う展開が待ち受けていた。 それは丁度、車がルーファウスの自宅に着いた時のことだった。 「着きましたよ」 そう言って隣のルーファウスの方に顔を向けたツォンに、ルーファウスは「ああ」といつも通りの返事をする。いつもなら此処ですっきりと降り去ってしまうだけで、ルーファウスはその他の言葉すらかけやしなかった。 その姿を見つめ、もう見てやしないというのにツォンが会釈をする――――――それはいつものパターン。 けれど何故か今日のルーファウスは、そのままシートにもたれかかっている。 「…どうしました」 何だろう、と思う。やはり何かあって、それを気にしているのだろうか。 そう思ったが、先ほどの会話の後になって、何があったのです、とも聞けない。だからツォンはそうした言葉を返した後に、ただ黙ってルーファウスを見つめていた。 「ツォン」 「はい」 呼びかけの後に、ふっと見つめられる。 その顔が、瞳が、あまりにも真っ直ぐで――――目が離せない。 しかしそれは暫くして解け、その代わりルーファウスはこんなことを言い出した。 「今日はまだ早い。少し私に付き合わないか」 その言葉は、ツォンにとっては信じられない言葉だった。未だかつてそんな言葉をかけられたことは無いし、そんなふうに自分を誘うことなどありえない話だった。少なくとも今まではそうだったのだ。 まずルーファウスはそういう人間ではなかったから。部下は部下でしかなく、彼の世界は彼の世界でしかありえなかったから。 しかしこの気まぐれのような言葉は、少なくともツォンを喜ばせた。絶対に触れられないと思っていた人の世界に、僅かでも入る隙を――――その時、与えられたような気がした。 だから、疑いなどしなかった。何も。 きっと少しばかり世間話をするか、もしくは仕事の愚痴などでも聞くくらいだろうと。 「分かりました」 そうしたツォンの回答を耳に、ルーファウスはやっとシートから身をおこした。
その空間は、ツォンにとっては初めての空間だった。 ルーファウスのプライベートに立ち入るのも、ある意味ではこれが初めてだったかもしれない。 それはそれとしても、いやにぴっちりと片付けられている。ツォンも自宅は綺麗に片付けてある方だったが、そうしている彼でさえそう思う。 何だかそれは、一種人間味をどこかに失くしたような部屋だった。 「適当に座ってくれ」 近くには使っているのかどうかも危ぶまれるソファだとかが、普通の家庭では見られないほどの間隔をもって置かれている。余裕がありすぎるから返って落ち着かないのだろう。 取り合えずソファに腰を下ろしてみたものの、ツォンはどうしても落ち着くことができなかった。いつもの自分からすれば、余程妙な事に違いない。その理由はきっと多種あるはずだが、やはり一番はこの状況に免疫が無かった、という事になるだろう。 この部屋に――――――今まで神羅の誰が足を踏み入れた事があるだろうか。多分、誰も無いだろう。プレジデント神羅の邸宅ならばまだ分かるが、此処はまた別物である。 それでも、ルーファウスが熱を上げている彼女ならば、やはり入ったことくらいはあるのだろう。 そんな事が頭を巡ったが、何にしてもあまり良い気持ちのする考えではなかった。
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