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「浮気相手のあの女性も私に一つの依頼をしました。それが―――――――ルーファウス様、貴方の暗殺、です」 そこまで言うと、ツォンはじっとルーファウスを見詰めた。 ルーファウスもまた、そんなツォンを見詰めていた。 あの暗殺の真相…それはこんなものだったのである。 浮気相手の依頼によってなされた暗殺、しかしツォンが実際にそれを実行したのはつまり、妻であるあの女性を愛していたからに過ぎなかった。 それを理解したルーファウスは、虚ろな目をそっと床に落とす。 ああ…何もない。 そう、思った。 自分は―――――――――――――愛されてなど、いなかった。 「しかしそれは失敗しました。貴方を前にしてこう言うのは馬鹿げていますね。…貴方はあの夜、あの場にいたでしょう?」 「…ああ」 「やはり、そうだと思いました」 「……」 あまりに無感動な事実の羅列は、ものすごい圧力となってルーファウスを襲った。あの夜、あのベットに埋まっていたのがルーファウスであってもあの少年であっても、要は何でも良かったと…つまりはそういうことではないか。 あまりに報われない。 但し、あの仮の母親にとってはその暗殺の失敗は大きな問題となったのではないだろうか。それは謎だったが、それを敢えて口にする気力はルーファウスには無かった。 ツォンは、事実の告白としてなのか、特に感情も込めずに淡々と言葉を続ける。 「私は貴方に何度となく嘘をつきました。あの夜、食事の場であの女性を知っているかと貴方は聞いた。けれど私は、知らぬふりをした」 「…そうだな。お前はうそつきだ」 愛情だって、偽者のくせに。 「そしてさっきも嘘をついた。この五年色々あっただなんて、嘘だ。本当は…そう、十三年。私が貴方と初めて会ったのは……十三年前だ」 それは、ツォンが初めて監視としてやってきた日のことで、ルーファウスの記憶には無いものだった。すっかり消えていたのである。 記憶にあるのは、母親が消えた後から。 この差は何だ―――――――――? 「私はね、ルーファウス様。貴方の母上に、もう一つ依頼をされていたのですよ」 「…?」 「それは、あの浮気相手の女性よりも先だった」 「…??」 「その内容は―――――――――」 ツォンは、すっと優しい笑みを浮かべた。
「“ルーファウスにも、私と同じことをしてちょうだい”」
「な…っ!」 今度はさすがに驚かずにいられなかった。 まさか母親がそんなことをツォンに依頼していただなんて。 いや、というよりもまずそれ自体がおかしいし、何よりそれでは……。 「だから私はいつも側にいたでしょう?」 ―――――――それは監視の為に。 「そして貴方といろいろ話すようにもなりましたよね?」 ―――――――それは些細な始まり。けれど作られた始まり。 「そして最後に私は貴方と抱き合う関係になった…そうでしょう?」 ―――――――それは偽りの愛情の為に。
そう、全ては…一人の女性の為に始まった、偽りの愛情。
「い…やだ…やめろ…それ以上言うな!!」 ルーファウスは咄嗟に両手で頭を抱えるようにしてツォンから離れると、部屋の隅に蹲った。その場所は丁度窓の近くで、カーテンの裾がひらひらとしている。それはまるで、あの夜と同じだった。 あの夜、見たものが信じられなかったのと同じように―――――――。 ツォンはそんなルーファウスを冷静に見詰めると、しかしこれは事実です、と平たい調子で言う。確かにツォンの言うことは正しく、これは嘘ではない。しかし認めるにはあまりにも多くのものを否定しなくてはならず、それは容易ではなかった。 部屋の隅で震えている、そんな自分があまりにも寂しい。 そういえば――――あの少年は言っていた。 “君の方がもっと寂しそうに見えたから” 彼は、あの時すでにルーファウスの中にある寂しさを見つけていたのだろうか。仮初ばかりに彩られた安堵や愛情を見透かしていたのだろうか。 彼はルーファウスの命を救い、身代わりとなって死んだ。 しかし、そうして生かされた今の自分は一体どれだけのものだというのだろうか? あの少年が身を呈してまで救ってくれたこの身もまた、誰かの身代わりでしかないではないか。 ――――――――“誰でも良かった”。 それはあの少年と同じことである。本物の愛情ではなく、利用の上に作られた愛情だけを与えられて散っていったあの少年と同じことなのだ。 ああ、お母さん―――――――――… 貴女の求めた愛情とは? 貴女がくれた愛情とは? 求めても絶対に手に入れられない「愛情」というものは、一体何なのか? 「ルーファウス様…」 スッと立ち上がってルーファウスに近付いたツォンは、部屋の隅に蹲るルーファウスを覗き込みながら、こんなふうに言う。 「私は貴方の側にいます。これからもずっと。私は貴方を愛している」 「…ちがう…それは、ちがう…ちがう…」 そんなものが欲しいわけじゃない。 そんなものが欲しかったわけじゃない。 「ルーファウス様…辛い気持ちは良く分かります。何しろ私も、いつだって誰かの身代わりでしかなかった。欲しいと思う愛情は、誰か別の人のものだった。憎んでも憎みきれない」 そんなふうに言うと、ツォンはそっとルーファウスの手を取った。 そして、その瞳を見つめる。その瞳を通して、どこか違う場所を懐かしむように見詰める。蒼い目の、その向こうを。 「プレジデントもきっと私を憎んでおいででしょうね。妻を寝取られ、貴方をも奪った。あの方が私をやたらと呼び出すのは皮肉ですよ。妻を寝取られた恨みの根源が、今でも貴方の側をうろついているだなんて…笑えないでしょう。ある意味、殺されるよりも悪質です」 何かにつけツォンを呼び立てるプレジデントの真意など、大体そんなものだとツォンは思っていた。二十歳そこそこの頃に受けたあの初任務はもう時効である。だったらばもう既にツォンを特別扱いする必要などどこにもないのだ。単なる一社員として扱うのが道理なのだから。 そんな皮肉を突きつけるあの男に、恨みと愛情を持った女性。あの妻。 思えば彼女もまた、皮肉なことをしたのかもしれない。それはツォンの存在だけでなく、ルーファウスもまた同じことだった。 彼女が、ルーファウスを愛せないと断言したこと、そのことをツォンは知っていた。彼女自らがそれを豪語したからである。 彼女がルーファウスを産み落としたのは、やはりそれも一つの憎しみと愛情のためだった。 ある男に、自分を愛さなければならないのだ、と突きつける為の、その手段。 それだけが、彼女にとってのルーファウスだったから。 ツォンはそれらのことを思い返しながらも、口からは別の言葉を発した。 目に映っている金髪碧眼――――――やはり、似ている。 特に手段に於いては、似ていた。 「貴方の母上はベットの上でも情熱家でしたよ。そう、今日はそれを思い出した…貴方はやっぱりあの人にソックリだ。情熱に任せてせがむところも、強引なところも、全て…」 「いやだ…ちがう、私はちがう…!!」 「いいえ。違うことなどありませんよ。だって貴方も私に依頼したじゃないですか」 ツォンはそう言ってルーファウスを抱きしめると、その耳元でそっと囁いた。 その言葉はまるで嘘のような真実だったが、しかしルーファウスはそれを聞いて、驚きというよりも脱力を感じた。 そう――――――そうだった。 そんなことはすっかり忘れていた。
行かないでとせがんだ母親がどこにいったのか? 暗殺が失敗に終わったあの浮気相手の女性がどうなったのか?
その答えは――――――――――自分の中に、あったのに。
“ツォン…お願いだから、お願いだから…殺して”
それは、偽りの愛情を与えられた幼い少年が望んだことだった。 愛情をくれるその人を、誰かに奪われてはならない。 その一心で望んだ、“依頼”。 一度目は、母親を。 二度目は、あの女を。
愛していると言う言葉を繰り返し口にした。 愛しているという言葉を繰り返し耳にした。 ツォンの視線が、蒼い目のその向こうを見続けていることを知っても、絶対にそれを拭えないことを知っても、それでもやはり愛していると思った。 ああ――――そうだ…。 この視線を初めて受けたのは、この人に初めて会ったのは、寂しくて母親の部屋を訪れたある夜だった。訪れたその部屋で母親は、この視線と向かい合っていた。 それがツォンとの出会いだったに違いない。 その時は母親が父親以外の男の側にいることがショックだった。まるで見知らぬ他人のように見えてショックだったのだ。 だからこそ自分は言ったのではなかったか、父親と自分を置いていかないで、と。 しかしやがてその母親を奪ったツォンという男が自分に、母親への視線と同じものを向け始めた時、自分は母親が邪魔だと思ってしまったのである。 ツォンを…取られてはいけないのだと思った。取られてはいけない、と。 だからこそ自分はツォンの依頼をしたのだろう。 そう、その頃受け始めたツォンの視線が、母親の依頼の上のものでしかないとは知らずに。 だからこそ母親は消え去った。 だからこそツォンだけが此処にいる。
――――しかしそれはやはり同時期に起こった出来事なのだ。
“貴方のことを愛せないの” そう言った母親が、それでも唯一くれた偽りの愛情は、一つのプレゼント。 ツォン、という名のプレゼント。 それはとても残酷な、身代わりと言う、みせしめという、そんなプレゼントでしかない。しかしそれを分かっていても尚、やはり愛しているのだ。 「ずっと貴方を見詰めています、ルーファウス様…」 ―――――ああ…安心する。
ずっとずっと側にいて。 どうかこのまま――――――――…… 身代わりの体に、偽りの愛情を注ぎ込んで。
END
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