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そんなふうに言って、一粒の種を購入した。 それは何でもない小さな花が咲く種らしいが、それでも良いと思う。 この部屋から出ることが叶わなかったツォンは、ルーファウスが買ってきてくれたその種を、その部屋の中に小さなビニルハウスを作り、その中に植えた。 社屋の中にそんなものを作るのは許されないことだったろうが、幸いにもそれを許可してくれる人が側にいる。だからツォンは、その我侭を強行した。 ビニルハウスの中は花が育つのに有利な環境にしておこうと、その手の職人が来て設備を整えてくれた。だからきっと花は咲くことだろう、ツォンはそう信じていた。 一年はかかりますよ、そう言われたけれど、それでも構わないと返答して。 数日が経って、その種は芽を出す。 小さな芽は今にも消えてしまいそうだったけれど、花というものが育つ経過を見たことがなかったルーファウスは、毎日ツォンのところにやってきてはそれを感心して眺めていた。 最近、どうですか。 そんな言葉をかけると、ルーファウスは決まって、 「別に。順調だ」 と返した。だからツォンも、そうですか、と普通の答えを返す。 けれどそんなはずは勿論無くて、真実の様子はレノやらルードやら、更にイリーナなどという仲間から聞き知っていた。 最近では更に状況が険しくなっているのだという。仕事だからそれをこなすのは当然だが、それにしても異例の事態になって神羅も未経験の処理を色々と行わなければならなくなっていたのだ。それはルーファウスとて同じことである。特に前社長が死してからまだそれほど長い期間が経っているわけではない、ルーファウスにとっては正に多忙といって良いだろう。 昔―――――そう呼びたくなるくらい穏やかだった頃。 それはまだルーファウスが副社長という肩書きで、それでも問題なく生活ができていた頃、まさかこんなふうになるだなんて想像できなかった。何でもない普通の仕事とは確かに内容は違っていたけれど、それでもただそれをこなして、そして日々は過ぎていくものかと思っていた。ちょっとした馬鹿話も、じゃれ合いも、続くものかと思っていた。 誰もこの神羅から離反などしないと思っていた。 それでもある科学者が罪をおかし、そしてある兵士は発狂をした。何でもない穏やかな日の裏にそういったものは隠されていて、ある日それは一気に真実を曝け出し、全てを変えてしまったのだ。 花など咲かなくても、全てがとても綺麗で―――優しくて。 何かを望むほど、生活は乾いてなどいなくて。 たった一つの笑顔すら消し去ってしまうような日が来るとは思っていなくて。 ルーファウスが嘘をついてまで笑うような日が、来るとは思ってもみなかったのに。 「ルーファウス様、嘘は絶対につかないで下さい」 ベットの脇でいつものようにツォンに身体を預けているスーツ姿のルーファウスに、ツォンはそう言う。 「ついてない、嘘なんて」 反射的にそう答えたルーファウスは、どこか意地をはっているようにも見える。 「絶対に?」 「絶対、だ」 確認までとってもルーファウスがそう答えるので、ツォンは仕方なく笑って、今度こそそれを了解した。本当は隠しているはずなのに…疲れていることを。そして、心が寂しいことを。昔はそれこそグチの一つもでたのに、最近はめっきりそういう事もない。それは病人扱いをされているツォンに対しての気遣いだったのだろうが、当のツォンはそれが返って悲しいような気がしていた。 もし、悲しいとか寂しいとか、もう休みたいというふうに…そんなふうに愚痴の一つでも言って頼ってくれるのなら、今は幾らでも返す気持ちがあるのに。今までルーファウスがそうしてきても返せなかった。しかし今は反対で、それが返せるのにルーファウスはそういう素振りを見せない。 皮肉なことだけれど。 「…もう行かなくちゃな」 すっと身を離したルーファウスは、そんな言葉を呟いて、ツォンを見遣った。 少し…いや、大分離れがたいけれど、行かなくては。 時間は容赦なく迫っているから。 「そうですね」 ツォンは笑ってそう答える。 こういう別れのシーンで、次の時間の約束をするのはタブーである。また後で、そんな言葉を今まで平気で使ってきたが、それは今はもうできなかった。 だから敢えてそういう約束の言葉は放たない。 そんなツォンにルーファウスは少し口元を上げて、そのまま去っていった。
色んな感情が混じっている。 今までできなかったものが、今ではできる―――その喜び。 それは今までどこかで蔑ろにしていた気持ちだったり時間だったりゆとりだったりしたが、けれどまた別の部分では正反対のことを思っていた。 今まではできたけれど、今はできないこと――――そういうものも存在しているから。 つまりそれが、約束だったり信頼されることだった。口約束なら幾らでもできるけれど、それはいつ叶うかも知れないものである。今まで愚痴の一つも言ってくれていたのはきっと、同じ条件の中で同じものも見てきたからだろう。 それは残念ながら今は無いものである。 この安穏とした時間の中では、頑張っても忙しいなどとは言えないし、命令さえ下してはもらえない。確かに此処には存在しているのに、ある部分で自分は必要とされなくなってしまったのだ。それは仕事という面での話ではあるが、それがあったから得られたシーンも数多くあった。 すっかり違う時間の流れの中に、自分は置いていかれてしまったのかもしれない。
ああ―――――――それでも。
それでもこの花が咲いたら、あの頃の自分にできなかった事が今ではできると胸をはって言えるだろう。 もう自分のどこも頼ることのできない、今の貴方に……少しでも笑顔をあげることができるなら。
すっかり社内のその部屋で過ごすようになっていたツォンは、自宅にも帰らずにそこにいるようになっていた。散らかしたまま放置してあるのも何だと思ったが、仕方無い。電気も何も、多分そのままストップしていることだろう。 一人で帰っていた自宅のことを思い出しながらツォンは、暗い天井を見つめる。夜深くなると、さすがに社屋だけあってシンと静まってしまう。そういう空間は別に嫌いではないし、返って考え事をするには落ち着くような気がしていた。 仕事が終わって自宅に帰ると、いつも疲れてすぐにベットに落ちていたことを思い出す。冷たいベットに身を預け目をつむると、すぐに眠りについていたような気がする。たまにルーファウスから連絡が入ったが、あまりに疲れが堪っていた日にはそれを知りながら寝入ってしまったこともあった。 花見の話をしたその日も、確かそうしてベットに埋まっていたと思う。けれどその日は確か、そういう話題を振られたせいもあって、目を閉じながら考えていた。ミッドガルで花が見れるような場所はあっただろうか、いや無いだろう、けれどどこからか花壇まるごと運んでくることはできないでもない、でもそれでは何かが違うだろう、―――――――そんな事を、考えていた。結局最後は“できない”という結果になって考えるのをやめてしまったものだが、今思うとそれも口惜しい。 思えばあの自宅では、ルーファウスのことを考えることはあまり無かったように思う。泊まるとか泊まらないだとかいう話になった時もあったが結局ルーファウスは自宅に帰っていたし、そもそも自宅にいる時間もそれほど無かった。 ――――――帰れなくなっても、さして悲しむことはないか…。 社内にいてそんなことを思うのは何だか不思議だったが、何となくそんなふうに感じていた。 チラリ、とビニルハウスの方に目を向けると、そこには少し大きくなった葉が二枚ある。 「……綺麗に咲くんだぞ」 せめてもの我侭を、ツォンはそっと口に出す。そうした後、また視線を天井に戻し、ふとルーファウスのことなどを考えた。もうこの時刻だと帰ってしまったろうか。それとも残業でもしているのだろうか。考えても、携帯を手にしていない今では情報をくれる者はおらず、その人がどんな表情をしてどんなふうにしているのかも全く分からない。 一日一度だけ…嘘でできた優しい表情しか、知らない。 「……悲しいことだな」 本当にそれは、悲しいことだと思う。 とてもとても――――――――自分は無力だと、そう思う。 そんなふうにツォンが思い、そして目をそっと閉じたのは時計の時針が午前に指しかかったときの事だった。 そろそろ静けさも心地よい眠りを誘ってくれる…そんな時。 ふっと、音がした。 その僅かな音に気付いたツォンは、そっと身を起こすと、目を細めながらその音の方向を見遣る。するとどうやら部屋のドアは開いていて、その音というのはドアが開いた音だったらしい。しかし開いたドアの向こうに見えるのはやはり暗い色でしかなく、電灯は全て消えていることが分かる。ということは既にこの社屋には誰もいないということである。 誰もいないはずの場所で、ドアが開くなんて…奇妙な話だ。 しかしそれは、別段不可解な現象ではなかった。 何故ならそこには。 「……まだ、残っていたんですか」 思わずツォンはホッとしてそんな言葉をかける。 そこには、帰り支度を整えたルーファウスの姿があった。 ルーファウスがこの時刻にこの場所を訪ねてくることは今まで無く、だからそれは珍しいどころの話ではなく初めてのことである。まさか来てくれるとも思っていなかったツォンは、帰ることを催促する言葉を放つまえに、つい礼の言葉などを口にした。 「ありがとうございます。気遣って下さって」 「――――――気遣いじゃない。私が来たいと思ったから…だから来ただけだ」 「そうですか」 その方が嬉しいです、そんな言葉を言おうとして飲み込んだツォンは、続けざまに、 「もうお帰りですね。お気をつけて」 本来口にしなくてはならないその言葉を口にした。 自分のために来てくれたのは嬉しいし、本当は側にいて欲しいけれど…それでもそれはできない。 しかしそんな気遣いの言葉をかけたツォンに、ルーファウスは抑えることなく悲しい顔をすると、その言葉に反論などをした。 「どうしてそんな事を言うんだ。来たいから来たと言っただろう」 「ええ。ですから…それは分かっておりますが。でももう時刻も…」 遅いですし、そう続けようとしたツォンを遮るように、ルーファウスはすっとツォンに近付き、それから突然のようにその身体に抱きついた。帰り支度も既に整ったその格好で、鞄すら投げ出して、である。 突如身体にのしかかった重さに思わずツォンは驚きの表情を浮かべ、体勢を保つべく手を付いたが、それも少しすると柔らかい表情に変化していった。 嬉しくないはずが無い、こんなふうに我武者羅に抱きつかれて。 一日のうちの僅か数分しか共にできない現状で、しかもルーファウスは無理をして笑顔を作っていて。そんな生活の中で、ルーファウスがどんな表情を見せて働いているかも知らず、それこそ自分のことなど考える暇もないかもしれないと心のどこかでは思っていたものだが、そういった全ての不安要素を、そのルーファウスの行動は消し去ってくれた。 鎖骨の辺りで、静かな息遣いを感じる。 それに何か充実感のようなものを覚えながら、ツォンは、ルーファウスの髪を撫でた。 ――――優しく、緩やかに。 「…こんなふうにされたら、帰したくなくなりますよ…」 自分に縋り付く肢体をしっかりと抱きすくめながら、ツォンはとうとう本音を口に出す。 この髪も、 この肩も、 この吐息も、 全て放さないで――――…このまま、奪ってしまいたい。 誰の眼にも触れる事がないくらい、ずっと側に居て欲しい。 他の何よりも、いつも、いつでも―――――自分が真っ先に存在していたい。 「…帰れなくても良い」 そう聞こえたくぐもった声に、ツォンは耐え切れず、指の先でルーファウスの顎をふっと上げた。 そして間髪入れずに唇を奪う。 拒否などあるはずもなく、すんなりと入り込んだ舌先でその人を貪った。飽きるくらいに何度も何度も舌を絡ませて、時々漏れる声を聞きながら抱きしめた腕に力を込める。 その口付けは、何だか懐かしい気さえした。 思えば、忙しさを口実に時間を削っていた時分、こんなふうに心の底から求め合ったことはあまり無かったように思う。時々、疲れた顔をしてキスをしたり、そのままベットに入り込んだりしたことは勿論あったけれど、こんなふうに溢れ出す愛しさを感じて唇を貪ることは無かった。 あまりに時間は早く無情に過ぎ去っていき、その流れに逆らうことはできなかったから―――だから、大切なこんな気持ちすら、思い出せなかった。 長い口付けを終えてやっと自由になった口で、ツォンは押さえきれなくなった気持ちを伝える。それは大切な言葉で、でもずっと伝え忘れてきたもの。 「愛しています、心から。ルーファウス…貴方を、愛してる」 そんな告白を受けて、ルーファウスは何も言わずに首を縦に振る。そんなふうに言わなくてももう、分かっているのだ。長い間それは口に出されることのない言葉だったけれど、本当はいつも、疲れた時でも根底にあったはずのものだから。 密着した暖かさの中で、ルーファウスもポロリと本音を漏らす。 「…辛いんだ、お前がいないのは。すぐに会いにもいけない。同じ社内にいると分かってるけど…でも違うんだ。悲しいなんて思ったらいけないのは分かってる。でも此処に来たら悲しい顔なんて見せられない。でも本当は…辛い。すごく悲しいんだ」 此処にきて、ツォンの顔を見るたびに…本当はいつも泣きたかった。 そんなふうに最後に告げると、ルーファウスは今にも泣きそうな顔をしてツォンを見つめた。その視線を受けたツォンは、小さく笑ってこう返す。 「貴方を悲しませてしまって…すみません」 ルーファウスが何故そこまで辛いと言うのか、それはツォンも分かっている。それはツォンが感じている悲しさと同種のものだから。かつてのように同じものを見ることが叶わないこの悲しみは、例え同じ神羅ビルの中にいようとも拭い去ることはできない。 そして、またかつてと同じように同じ場所で同じものを見ることは、もう出来ないのだ。 こんなに気持ちは側にあるのに。 段々と潤んできた瞳を覗き、ツォンはルーファウスの頬を優しく包んだ。それから、泣かないで下さい、と言う。 「笑顔を、下さい。嘘じゃない、本当の笑顔を」 「無理なこと言うな。…泣きたい時に笑える奴がどこにいるんだ」 そのルーファウスの意見は尤もだったが、しかしツォンは首を横に振った。 「そうですね。でも…貴方の本当の笑顔を引き出せないようでは、私は失格かもしれない」 遠い昔のように、穏やかに、優しい空間を作り出せないようでは。 その遠い日々には確かに、本当の笑顔が存在していた。そこに戻りたいというわけではないけれど、この想いが確かであり、通じていること…それはそういう部分にあるのではないかと思ったのだ。 「辛い時は辛いと言ってくれれば良い。そう、さっき言ったみたいに。悲しい時ならいくらでも側にいます。でも最後には笑っていて欲しいんです。悲しいままの顔で、貴方と離れたりするのは嫌だから」 「……だから。帰れなくても良いって、言っただろうが」 「ええ…そうでしたね」 優しく笑うツォンの顔を見て、ルーファウスも結局、困ったふうにだったが笑顔になっていた。それはいつもの偽りの笑顔とはまた違う、ある意味では本当の笑顔だった。 通じている気持ちがあるから、だからこそ見せることができる表情。
側にいたい。 側にいたい。 どんなことがあっても、例えこのまま悲しいままでも。 それでも笑顔でいたい。 此処は暖かくて、優しくて穏やかで、そんな気持ちに溢れている空間だと証明したい。 側にいられる、この限られた僅かな時間の中で。
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