男はツォンと名乗った。

ツォンは上手い具合にルーファウスとその親友の間に入り込むと、同じレベルで話をあわせてくれたりする。

三人になったことで少しだけ遊びの幅も広くなって、今までやりたくてもできなかったことなどをして暫く楽しんだ。

この庭にはプールもあるし池もあるし、他にも色んなものがある。とにかく広いその庭は、ツォンにとっても初めてのものだった。

小休憩として休んだ時、そんな話題になって、じゃあ案内をしようということになった。しかし不思議なことにそれも、ルーファウスの方でなくその親友の方が提案などしたりする。すっかり親友のペースにはまったような気がして面白くない気もしたルーファウスだが、その案内の端々に庭を褒められたりすると、そんなに悪い気もしなかった。

親友が先頭をきって歩く。その後にツォン、そしてルーファウス。庭を一周などしながら、このプールは50mあるだの何だのという話をしたりする。

綺麗に整えられた植木などにも、これはこういう花が咲く、などという説明を加えた。

ツォンは感心しながら親友のその説明を聞いていたが、時々背後のルーファウスの振り返って何も言わずに笑ったりする。それに気付いて、ルーファウスは何だかどうして良いか良く分からなかった。

笑っていいものか、無視していいものか。

そんなふうに庭を周回して、最後に池まで辿り着く。

この池は古くからあるのだということを、ルーファウスも聞いて知っていた。普通池といえば鯉などが泳いでいたりするのを想像するが、この庭の池にはそういうものは一切無い。

とても澄んだ水が溜まっていて、本当にプールと相違ない気がする。

けれど。

ふっと父親に言われていた事を思い出して、ルーファウスは初めて口を開いて何か物を言おうとした。

…が。

「ルーファウス!こっち来てよ!」

笑った親友が、突然、ルーファウスの手をグイと引っ張った。突然のことだったので、言おうとした言葉も言えないままにルーファウスは身体のバランスを崩した。

バランスが崩れ、体重全部が親友にかかる。すると今度は親友の方がその勢いでバランスを崩した。

「うわっ!」

「あっ!」

やばい――――そう思った時にはもう遅く、二人は池の中にバシャン、と落ちる。

咄嗟に脇の石に捕まろうとしたが、慌てた親友がルーファウスに必死で捕まっているせいか、重さで上手い具合に手がそこまで伸びない。

「大丈夫ですか!」

池の上からツォンが焦ったようにそう叫んで手を差し出したが、それにも届きそうに無い。

だから言おうとしたのに。

この池は意外と深くて、周りは滑りやすくなってるから気を付けないといけないんだ、と。

段々と深みにハマっていきながらも必死にツォンの手を掴もうとルーファウスはもがいた。隣では、ルーファウスの身体にしがみつきながらも、同じようにツォンの手を掴もうとしている親友がいる。

ツォンは少し顔を歪ませて、それから身を乗り出した。そしてやっとルーファウスの手を掴むと、強力にズルッと引き上げる。

ザパアという音と共に引き上げられたルーファウスは、やっと地面に足をつくと、息をついて座り込んだ。まさか落ちるとは思ってもみなかったから、これは本当にアクシデントである。

「大丈夫ですか?これを!」

そう言って、ツォンは自分の上着をルーファウスの肩にパサリとかけた。こんなことをしたらスーツが濡れてしまうのに、そんな事を思いながらも、ルーファウスはそれに何も言わなかった。

ツォンはもう既に親友を引き上げようと手を伸ばしていたが、何せ広い池である。その距離が遠くて、どうにもこれ以上身を乗り出すことはできそうもなかった。

「…仕方無いっ」

そう判断した瞬間に、ツォンは池の中に自ら入り込んだ。

ザパア、という音が、ツォンが池に入ったことをルーファウスに伝える。思わずそれを凝視すると、ツォンはその視界の中でさっと友人の身体を捕らえていた。

何だかいてもたってもいられなくて立ち上がったルーファウスは、池の脇にある石の前に蹲ると、届かないと分かっていても、もう大丈夫だと分かっていても尚、思い切り手を伸ばした。

子供では遠かった距離も、大人のツォンにとってはそう大した距離ではない。池の深さはさすがに厳しいものがあったが、親友の身体をしっかり抱きかかえた瞬間に、もう安心できる状態だった。石にも届くし、すぐに引き上げることができる。

「大丈夫か?」

自らも濡れてしまったツォンは、ふと心配そうにコチラを見ながら手を伸ばすルーファウスを見て、大丈夫ですよ、と笑ってみせた。

するとルーファウスは、やっと安心したように、笑ったのだった。

とても、素直に。

それはその日初めてルーファウスがツォンに見せた笑顔である。

その表情はとても綺麗で、良くルーファウス神羅の容姿が噂に上ることを、ツォンはやっと身をもって納得できた気がした。

「やっと笑ってくれましたね」

三人でずぶ濡れ状態の中、ツォンはふと笑ってルーファウスにそんな事を言う。ルーファウスはその言葉にやはり、どうして良いか良く分からなかった。

だけど、迷った挙句に何となく笑ってみる。

その隣では、泣きそうな顔をした親友がペタリと座り込んでいた。

それは小さなアクシデントではあったが、それぞれの心に何かを残した出来事であった。

 

両親に見つかったら怒られるからと静かに身体を洗い流したりしてみたものの、やはり最終的にそれはバレてしまった。

ひどく怒られたものだが、その時にはもうツォンは会議という話し合いに戻っていた。ツォンはツォンで何か言われたのではないだろうかと思いながらも、その日はもう会うことが叶わず、結局その後は親友と二人で過ごす。

父親の会社の人ならまた会えるだろうか…何故かそんなことを思ったりしたが、それはどうやら無理だったらしい。

ツォンが神羅の人間ではなく、もう一つの企業の人間だと知ったのは、その日の夜遅くのことだった。

 

 

 

はっと我に返った時、何故かその場にしゃがみこんでいた。ふと腕にはめていた時計を見遣ると、どうやら20分ほど経過しているようだ。

ワインの追加に20分…さすがにルーファウスも怒りを露にしていることだろう。

けれどそれでも何故か焦りは感じなかった。ガラスの破片を見つめながら、やっと手だけを動かす。そのまま触れば怪我をしてしまう可能性もあったが、まあそれは良い。

ワインの赤い染みの上に、血の跡がついたところでどうという事もないだろう。

何とか破片を一箇所に纏めると、やっとツォンは立ち上がった。

しかしこのままルーファウスの元に戻るのも気がひける。

時間はくうわ、しかもワインは駄目にするわで、結果は目に見えている。頼まれていたワインは他に2本ほどあるから、それを持っていけばまだマトモかもしれないが。

「時効、か…」

無意識にそんな言葉を呟きながら、ツォンは残る2本を手にすると、やはり戻ろうと思った。先ほど頭を巡った考えが消えたわけではない。返るものなどないし、いつまで経っても終わらないものなら頑張る必要性もないという、あの考えが。

だからせめて、今日、このワインを運ぶまで。

それまでの有効……そうすれば良い。

後はどうとでもなるだろうと、そんなふうに考えてツォンはやっとその貯蔵庫を後にした。床に置きっぱなしのガラスの破片はまた後で片付けにくれば良い。

やっと部屋を出ると、外はもう漆黒に近かった。それを視界の中に入れながら元の場所まで歩く。

窓の外にはやはりかつてのルーファウスの部屋が見えていて、そこは暗いままである。あの部屋にも思い出があるが、それも今日で終わりにしなければと思う。そもそもこういう考えは過去から引き摺ってきたことなのだから、過去自体を葬ってしまえばそれで済むのだ。

数分歩いて例のドアの前までやってくると、もう一度時計を確認してからツォンは、トントン、とドアをノックした。ルーファウスからの用であれば中からノックを、ツォンからの用事であれば外からノックを…これは暗号みたいなものである。

そのノックの音の後少ししてから、ドアは僅かに開いた。

その隙間から、ルーファウスの蒼い目が覗く。その目はやはり、不機嫌な色をしていた。

『…遅い』

声音も言葉も、当然ながら不機嫌である。あまりにも分かっていたことだったので、ツォンは遠慮なく苦笑してみせると、

「ええ、すみません」

と一応謝りを入れておく。

それから手にしていたワインをその隙間から手渡すと、

「もう一本は手を滑らせてしまいまして」

そう言う。

その言葉にはルーファウスは何も返さなかった。ただ引っ張るように受け取ると、何も言わずにドアを閉める。それだけで、会話もやり取りも終わりを告げる。

閉じられたドアの前に立ちながら、ツォンは軽く溜息をついた。

けれど、先ほどの考えが笑みを漏らさせた。

 

 

 

息子の誕生パーティをやるんだが、お前も出席してくれないか。

そう言われて、ツォンは迷うことなく二つ返事をした。

社長の息子の誕生日パーティに何故ツォンが呼ばれるのか、これは世間的には不思議な話だった。社長直々にそんな話をされて微かに疑問は浮かんだものの、ツォンに迷いが無かったのは、過去にルーファウスと思い出があったからだった。

数年前の、ちょっとしたアクシデント。

その時にルーファウスの見せた笑顔はとても印象的で、しかもその時の行動にツォンは感心していた。だから、できれば何かお返しをしてあげたいと思っていたのだ。

特に自分が何をされたというわけではなかったが、何故かそう思って、それは今でも変わらずに思っている。

誕生日プレゼントとして何かを返そうかと思ったものだが、それではあまりにも子供だましのようで嫌だった。それにルーファウスといえば、誕生日にはそれ相応のものを毎年貰っているのだろうから、そこそこのものでは納得してもらえないだろう。

そんなふうに思ったもののやはり何かプレゼントは用意して、ツォンはその当日に、プレジデント宅を訪ねた。

パーティはそれ相応に豪華で、しかも驚くべきことに神羅の社員が大勢きていた。まだ成人していないルーファウスの誕生日パーティに、同じ歳の人間ではなく、年上の仕事上の人間が来ているというのは何だか妙な感じだった。

主役であるルーファウスは、それぞれの来賓に笑顔を振りまいていて、パーティ自体はとても感じの良いものである。

しかし、その光景を見ていたツォンは何だか少し寂しい気がした。

あのアクシデントの日、ツォンに笑顔を少ししか見せなかったルーファウス。それが今ではこんなふうに惜しみなく笑顔を振りまくことができるなんて。

それは神羅の人間に対してだからなのか、それとも大人になったからなのか、それは良く分からない。けれどツォンにとって“変わってしまった”事だけは確かだった。

「ツォン」

ふと声をかけられて振り返ると、そこには主役であるルーファウスがいた。何人も取り巻きのように人間がくっ付いていたので話しをするのは後でも良いかと思ったいたけれど、どうやら有り難いことにルーファウスの方から話しかけてくれたらしい。

「来てくれて有難う」

「いえ、こちらの方こそお招き頂き有難う御座います」

ふっと笑うルーファウスを見ながら、ツォンも笑い返す。

「それにしても難儀だったな……その、会社のこと」

「…ああ」

今では忘れてしまいそうな事だったが、そういえば以前アクシデントがあった時には、ツォンは神羅の社員ではなかった。神羅と手を組むはずだった某社の社員だったのだ。

ルーファウスが難儀だと称したのはきっと、その会社が倒産したからだろう。いや、倒産というのは言葉が違うかもしれない。その会社は、神羅に全権を譲り、そして自ら命を絶ったのだから。それまで頑なに魔晄路の権利主張をしていたにも関わらず、突然そんなふうに態度を一変したのは、今でもツォンには理解できないところである。

しかしその会社が消失したことで、ツォンは神羅に引き抜かれた。その他何人かが神羅に引き抜かれ、今では神羅社員としてかつてよりも充実した暮らしをしている。

そう考えると、結果的には良かったのかもしれない。

「でも大丈夫です。神羅のおかげで何とか」

社交辞令のようだなと思いながらもそう返すと、ルーファウスは少し嬉しそうな顔をした。

「正直言うと、少し嬉しかったんだ。ツォンが神羅に来てくれたこと」

「そんなふうに仰って頂けると光栄です」

「…あのな。会いたかったんだ、ずっと」

「…え?」

神羅社員になってから、いや、それ以前も話し合いなどで、ルーファウスとは何度か顔を合わせていた。あの時は大変でしたね、そんな話も数回した。

けれど、ここ数年はそういう事は無かったかもしれない。

「ツォン、一緒に来てくれ」

ツォンが戸惑っている内に、ルーファウスはそんなふうに言ってツォンの手をひいた。そして何処かに行こうとする。

けれど何といっても今日の主役はルーファウスである。まさかこの場を離れるわけにもいかないだろう…そう思ったけれど。

「はい」

結局ツォンは、そう答えていた。

 

 

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