血染めの海

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それは強い雨の日だった。

その日、ツォンは初めてその人を胸に抱いた。

何故――――そんなふうになったのか。

それはきっと同情だった。震えるその人を見ていられなくて、その人が雨の中で消えていってしまいそうな気がしたから。

だからせめて、寒さに凍えてしまう前に、暖めてあげなければいけないと思った。

怖い、そう言って震えるその人を。

とても―――――見ていられなかったから。

 

 

 

投げやりに放られた書類を拾い上げると、ツォンはそれに目を通した。名前は随分と連なっている。どれもそれなりの組織で、とはいっても神羅にとっては敵でしかない組織だった。

それを目で一通り追うと、その後にツォンは顔を上げた。

「これで、全員ですか?」

そう確認するように言ったツォンに、ルーファウスは「ああ」とだけ答える。それは少し詰まらなそうな顔だった。

「…今度はやけに多いのですね」

言おうかどうか迷っていた言葉を、それでも口に出すと、ルーファウスはふっと笑って腕を組んだ。それから、やや蔑んだようにこう言う。

「怖いわけではないだろうな?」

「ええ、それは」

「そうだな。お前は残忍な人殺し。プロだからな」

そう言って組んだ腕を解くと、では後は頼む、そう言ってルーファウスはツォンから目を逸らした。

そうして、もう既に違う仕事に手をつけ始める。それはまるで、そこにツォンがいることなど、どうでもいいかのような態度だった。実際、ルーファウスにとってそれは本当にどうでも良いことで、それは正に神羅を恐怖政治に導く者の象徴とさえ思えた。

ツォンはそれを確認した後、そのリストにもう一度目を通してから会釈をする。それはもうルーファウスの眼には映らないものだったが、それでもツォンはそれを通した。

そして、その空間を後にする。

それはいつからか、至極居心地の悪くなった空間でもあった。

ドアを静かに閉めて、ツォンはずっと押し込めていた溜息をつく。

とてもじゃないが、ルーファウスの前でそんなふうな態度は見せることなどできなかった。いや、そうしたところでルーファウスは気には留めなかったろうが、そうする事で自分の中で何かが壊れてしまうような気がしていたのである。

今し方ルーファウスが寄越したリストは、暗殺命令が出されている者のリストだった。それは数が多く、組織の構成員全ての名を連ねれば総勢50人はいただろう。そうはいっても組織の中心地を狙えば一回で事は済む。楽といえば楽かもしれないが、それでも狙う命の数が変動するわけではない。

今回の命令は、ルーファウスが社長の座についてからもう何度目かの令である。その都度こうしてツォンは呼ばれM style='text-indent:10.5pt'>多分、他のタークスの連中も何度か呼ばれただろう。それは勿論、神羅を担う人物ならば当然の行動だった。

けれど、それにしても多すぎる。多すぎる上に期間が短い。

今のルーファウスにとっては、人の命を奪う事などどうともない事なのだろう。

随分変わったものだ――――――そう思う。

ゆっくりと廊下を歩き出しながら、ツォンはそっと思い返していた。

 

 

 

 

 

強い、雨の日。

 

震えるその人を見ていられなくて。

 

その人が雨の中で消えていってしまいそうな気がして。

 

だからせめて――――――――――……

 

寒さに凍えてしまう前に、

暖めてあげなければいけない……

 

『怖い』

 

そう言って震えた、あの人。

 

 

 

玩具程度の銃しか持ったことがなかったルーファウスに、初めて本物を差し出したのは確かにツォンだった。

興味津々に目を向けるその人に、いけないと思いつつも懐からそれを取り出し、その重みを確かめさせた。

それはツォンにとってはいわゆる商売道具で、当初、それほどの重みは無かった。しかし技術が向上すると共にそれは精巧なものに変わり、それと同時に、ツォンの中で重みを増していった。それが何の重みかは知っている。

奪った命の重み。

自分の属するその組織の敵である人間の鼓動を止めた罪が、そこにはまざまざと蓄積されている。それでもそれは個人レベルでは何の憎しみもない人間で、その葛藤は完璧に拭い去ることはできないものだった。

「ツォン、どうやって扱うんだ?」

「駄目ですよ、人様に向けては」

そう言いながら、駄々をこねるような態度を見せるルーファウスに、言葉だけで説明などをする。自分が見ていれば間違いを起こすことはないだろう、そう思っていた。

それでもルーファウスはその説明だけで十分理解をしたらしく、なるほど、などと言って頷く。多分、その時はルーファウスもまだ何も考えてはいなかったのだろう。

ただ、それは容易に人の命を奪えるもので―――――そして、ルーファウスにとっては容易に手に入れられるものだということ、それをツォンは忘れていたのだ。

だから、間違いは起こった。

数日してからルーファウスが嬉しそうに新しいそれを手にしていた時は、何となく嫌な予感がした。

それでもその嬉しそうな顔に、ツォンは何も言えなかった。だからせめて注意だけをしたのである。

「容易に使ってはいけませんよ」

「分かってる」

ルーファウスはそう物分りのいい返事をしていたが、それでもその期待に満ちた目はどこか危ない光を宿していて―――。

教えたのは、まずかったか。

そう思ったものの、今更取り返しはつかない。その扱い方を教えたのは紛れも無く自分だったのだから。

どうかルーファウスがそれを弄ぶことのないように…ツォンはただそれだけを願っていた。

それはまだルーファウスが神羅の全容を知らない時期だったし、そうすることは神羅の裏に入り込むことのようで嫌だった。どうせいつかはルーファウスが神羅を担うことになる、それは分かっていたことだけれど、まだそんな時期ではない。

できれば、遅い方が良い。

それはツォンが経験してきた人生からいえば、ルーファウスには歩んで欲しくはない大人社会への近道だった。

けれど、そんなツォンの期待は裏切られてしまったのだ。

それは、ルーファウスが嬉しそうにそれを手にした時から、数ヶ月経ったときのことだった。

 

雨の中で―――――――。

 

電話で呼び出され、何かと思って駆けつけたときには、その場は血の海だった。ルーファウスの腕がそう良いはずはなかったが、それでも相手が丸腰だったためか、数人が血に染まっていた。

雨の降る中、ただルーファウスは立ち尽くしていて、その顔からは血の気が引いていた。電話を片手に握っているが、それはまだ切られていない状態で音が鳴り続けている。

驚いたツォンは、すぐさまルーファウスに駆け寄ると、その手から銃を取り去った。それからルーファウスの肩を抱くと、

「……何も考えてはいけません」

そう強く言う。多分、もう既に何も考えられなかったのだろうが、それでも。

ルーファウスは少しした後にツォンの身体にもたれかかると、何かを呟いた。それはあまりに小さくて聞き取れず、何ですか、とツォンは耳を傾ける。

それは、とても小さな告白だった。

「……興味本位だった」

「―――……」

それはそうだろう、何せその相手は何も抵抗の後すら見せず、そして何でもない人間だったのだから。神羅の敵でもなければ、ルーファウスの敵にも見えない。

ただ、普通に生きる人々だった。

――――それを。興味本位で、殺した。

「ルーファウス様、貴方は悪くない」

良い言葉も思いつかずにそんなふうに言うと、ツォンはルーファウスの身を抱きしめた。このまま放っておいたならば危険な気がして、だからそうしたのだ。

その他に意味など無い。

強く抱きしめて初めてルーファウスが震えていることに気付き、ツォンは改めて自分を責めた。あの時、嬉しそうに聞いたルーファウスに、何故教えてしまったのだろうか。その表情を見れば、こうなることは 分かっていたはずなのに。

もう少し…もう少しだけでも、何も知らないままでいて欲しかったのに。

初めて―――――人を殺した、その感触。

その重さを、ツォンも忘れたわけではなかった。それは今でも鮮明に記憶の中にあるが、それを職とした以上は意識的に葬り去るほかない。

引き金を引く瞬間は、何も考えない。

その瞬間は、“人”を捨てる。

そうでもしなければ、その重みに耐えられるはずもない。

「ツォン…どうしたら…」

うわごとのようにそう呟くルーファウスに、ツォンはこう一言告げた。それは言い聞かせるかのような言葉で、ルーファウスの耳に流れ込む。

「…銃は私が持っている。貴方は何もしていない。私が…やったのです」

「でも…」

「いいえ、そう思って下さい」

罪を重ねた身はもう白くはならない。だったらそれは、初めて黒い染みを付けたその身より、自分の身に重ねた方が余程良い。

多分そういった思いは、ただの理想でしかなかったが、それでもツォンはそれを吹き込むように言葉にした。ルーファウスの手にはまだ重過ぎるものだし、その心にはまだ痛すぎる染みだから。

「ルーファウス様。このままでは、風邪をひきますよ」

震える肩を抱きしめてそう言う。それでもルーファウスの顔は凍りついたままで、恐怖感は拭えないようだった。

「ルーファウス様…」

声をかけるツォンに、ルーファウスはやっと一言を紡ぎだす。

「――――怖、い…」

そう言って目を閉じたルーファウスを、とてもじゃないが、ツォンは見ていられなかった。震えて、そう言ったその人を。

まるで雨の中で消えていってしまいそうな気がしたのだ。このまま恐怖に怯えて、初めて背負った罪に壊れて、消えてしまう…そんな気が。

だから、その身を暖めないといけないと思った。

この雨の中で寒さに凍えて、恐怖感に凍る前に――――。

「…行きましょう」

 

 

 

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