カラードロップ

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絶壁ともいえるこの崖から身を投じたら――――命は無い。

まるで三流ドラマだ、そう思いながら見遣る崖の下は緑が生い茂っており、色を失いながらも聳え立つ都会よりかはまだ天国に見える。

色を失いながら聳え立つ都会では、色を失った目をした人間達が生きている。

きっと自分だって同じ事だろう。

この眼には色が無いに違いない。

だから例えば今この崖下に飛び降りたとしても―――――…

 

灰色の眼をした人達は、何も思いやしないだろう。

せいぜい、社交辞令の灰色の涙を流すくらいの話だ。

 

「……」

ふわり、と、身体が舞った。

一瞬だけ重力を失ったように軽くなった身体は、生い茂る過去からの緑に目掛けて降りていく。

――――ああ、これで……緑に返れるんだ……

そう思った。

そう思った――――――――――――それなのに。

 

ふと腕に強い力がかかり、重力を失ったはずの身体はまたその重みを感じ始める。

一体何だろうと振り返ったその時、目に映ったのは見知った男の険しい顔だった。

それを見て驚く間もなく叩かれた頬はジンと痛み出したが、本当に痛かったのはその後に降りかかった言葉達である。

「馬鹿かお前は!一体何をしようとしてたんだ!」

そう問われて直ぐに答えられないでいると、男はすっと座り込んでこちらを見遣ってきた。その目は真剣で有無を言わさぬ力があり、最早何を言っても言い訳と摩り替わりそうな気がする。

しかしその時、何となく思った。

誰の目にも色など無いと思っていたけれど、そういえばこの男の眼はやけに印象的だったと。思えばこの目には何となく―――そう、色がある…そんな気がした。

「…ヴィンセント」

ゆっくりとその男の名前を呼ぶ。しかし返答は無く、ただ、先ほど止められた腕にまだヴィンセントの左手が巻きついていた。もう既に地面の上だというのに頑なにそれを離さないというのはやはり心配しているからだろうか。しかしヴィンセントの表情は心配というより怒りに近いものに見えた。尤も、それはあくまで表面上の事だったが。

「久々に会ったと思えばこれか。呆れたな、クラウド」

「……」

クラウドの目には、ヴィンセントの左手が映っている。その左手というのは最早人間の手をしていない改造された機械の手で、これは以前からクラウドも知っているものだった。ヴィンセントにとっては酷く痛いエピソードの象徴でさえあるこの左手は、それがあるにも関わらず今日クラウドの命を留めたのである。

それを見たら急に、悲しくなった。

ヴィンセントが現れたのは偶然に過ぎなかったのに、悪い事をした、とそんなふうに思ったのだ。それが何故だかは分からない。しかしその気持ちはみるみるクラウドの表情に表れ、やがてそこに沈静を落とす。

ヴィンセントはそれを黙って見詰めていたが、やがてすっと立ち上がり、クラウドに付いてくるようにとジェスチャーする。それに拒否をする理由などクラウドには存在していなかった。

 

 

 

 

 

ニブルヘイムとコスモキャニオンの間に聳え立つ山には崖が幾つか存在していた。

故郷という理由からなのかどうか自分でも良く分からないが、ともかくたまにふらりとニブルヘイム近くまで遠出をする事があったクラウドはこの日も同様にちょっとした遠出のつもりで此処までを出向いたのだが、何故だか今日に限っては何かが心の隙間に入り込んだらしく、妙な行動に出てしまったのである。

そこにヴィンセントが現れたのは実に幸い―――と言うべきなのだろう。

あのような人の来ない場所では誰かに会うなど滅多にない。それが証拠に今迄の遠出でクラウドは人になど会った事が無かった。

それなのに何故ヴィンセントがたまたまそこに居合わせたかといえば、彼は一つ探し物をしていたからだと言う。それというのはある人物だったがその人物を訪ねた所留守であり、この崖の多い付近に出歩きに言ったというからそれをまた更に探しに来たらしい。そこでたまたまクラウドを発見したという具合。

とにかく落ち着こうと言ったヴィンセントは一番近いニブルヘイムの村までクラウドを連れて行くと、日中は普通の店として営業しているらしい酒場に入り込んだ。

場所柄か人が少ないその店内では普通の声量で話していても会話が聞こえてしまいそうで難だったが、そこは仕方無いといってせめてカウンターから一番遠い席に腰を下ろす。

そして、つい一時間ほど前に叶った再会のその理由についてを口にし始めた。

「…それで、一体どういう了見なんだ。あれはどう見てもおかしな行動だったが」

責めるふうでもなくそう言ったヴィンセントは、言い訳や讒言は許さないといったような目付きでクラウドを見ている。まさか此処にまで来て嘘を付こうという気は無かったクラウドだが、それを見るとやはり苦笑せざるを得なかった。だって、どんな言葉を吐いたとしても全てが言い訳になってしまいそうだから。

しかしそれでもぽつぽつと話し始めたクラウドは、注文品がやって来た時に一旦言葉を止めたものの、後は途切れる事無くあの行動の理由についてをヴィンセントに打ち明けた。

かつての仲間であるから信頼は深い。しかし何故だろうか、それでもやはり、こんな告白じみたものは恥でしかないと思ってしまうのは。

「この辺りには良く来てて、今日もたまたま来ただけだったんだ。たまたまあの崖に行って…それから崖下を見下ろして…そうしたら、緑があったんだよ、下に。その時、思ったんだ。俺は普通に暮らしてるけど―――神羅に入った頃からずっと色のない世界にいるんだなって。…何だか妙に、あの緑に返りたくなった」

「…曖昧な表現だな」

「でも本当だ」

クラウドがそう言い切ると、なるほど、とヴィンセントは納得をした。別に疑っているわけではない、という一言も添えて。

しかしヴィンセントの指摘したように、確かにクラウドの表現は曖昧だった。それを一口に理解しようとするには少々難解であるとも言えるだろう。いわば感覚の問題で、感性の問題でもある。だからヴィンセントはその部分に於いてはクラウドの行動に何がしかの批判をしようとは思わなかったが、それでも結果的にああなった事に対しては厳しい言葉をかけた。

「それでもさっきのあれは一般的に見れば自分殺しに違いない。それが許される事かどうか、それはお前も知るところだろう。…悲しむ奴がいる限りは、許されない」

「…悲しむ奴がいる限り、か」

ぽつりと反芻したその言葉にヴィンセントは静かに告げる。お前の場合は沢山の人間が悲しむだろう、と。そういった人間達の気持ちを無碍にしてでも死にたいのか、と。

確かにヴィンセントの言うとおり、死ねば誰かは悲しむだろう。それはクラウドにも分かっている事である。しかしあの瞬間クラウドが思った事は、例え悲しむ人間がいたとしてもその悲しみには本当に色がついているかどうかという事だった。

思ったのだ、あの時。どうせ灰色の涙しか流さないんだろうと。

クラウドはそれをヴィンセントに告げようかと口を開けたが、しかしまたこの曖昧な表現をしてヴィンセントにそれを指摘されるのも難だと思い、結局その口を閉ざす。

それにその言葉を放ってしまったら、ヴィンセントの事すらそう思っているかのように聞こえてしまうだろう。何だか分からないが、それは嫌な気がする。

そうしてクラウドが黙ってしまうと、ヴィンセントはゆっくりと注文した飲み物に手を付けた。間を凌ぐ為というよりも咽喉を潤す為である。それはヴィンセントらしいというべきか、特別これといった感じのものではない。こんな人の少ない店ならば何を頼もうが大丈夫だろうに、たまにやってきた客も茶の一杯を頼むだけというのだから実に質素である。

「…ごめんな」

少し間を置いた後、クラウドはともかくその言葉を放った。一体全体何がゴメンなのかは分からないが、もしも先ほどのヴィンセントの言葉を反映させるとすれば、悲しませるかもしれない行動をしてごめん、という事になる。

尤も、クラウドには良く分からなかった。

果たしてヴィンセントは、そうなった時に少しは悲しんでくれるのかどうかという事が。

ヴィンセントの過去の事を思い返せば、大方の心根は想像がつく。あれを罪だと呼ぶヴィンセントが、まさか冷たいという事は無いだろう。一見そう見えてしまうのはただ静かだからであって、別段突き放しているという訳ではない。

ヴィンセントの態度を計る尺度は今迄、温度ではなかった。

そうではなくて、動静。

それは共に戦ってきただけあってクラウドにも分かっていた事だが、その動静の静の方であるヴィンセントは感情の読めない事が多い。だから時折、不安になる。例えば何かに肯定してくれたとしても、笑いもせずにそうされた場合は本当にそう思っているのかどうかが判断し難いのだ。きっぱりしているのに、それでもどこか受け入れやすい性質…そういうヴィンセントだからこそ尚そう思う。

そんな事をあれこれと考えていたクラウドだったが、返ってきた言葉は意外なものだった。

「―――ああ。大いに謝ってくれ」

少し笑ってそう言ったヴィンセントに、クラウドは一瞬躊躇ったが、それでも少しすると同じように笑う。

やはりあれは心配心だったのか――――――あの怒りの正体は。

そう、思ったから。

「今後は妙な事を考えるなよ、クラウド。さっきの言葉…あれはお前独自の感性だろうが、誰かに向けるには難しい論でもある。だからこそそれに対峙していく事は苦しいだろうが…それはお前に課せられたものでもあるだろう」

「…ああ、そうかもな」

ヴィンセントの言葉に一つ頷きそう答えたクラウドは、そうしながらも少し驚きを感じていた。何せその言葉は、言葉の意味とは裏腹な真実を突きつけている。誰かに向けるには難しいと言いながらもヴィンセントは、そのクラウド独自のものだという感性の内容をしっかり理解しているのだ。そうでなければ「それに対峙する」などという発想にはならないだろう。

その事実は当然、クラウドにとって嬉しい事だった。

だからなのか少し気分も軽くなり、クラウドは軽い気持ちで世間話などを切り出す。それはクラウドにとって本当に何気ない内容で、特別気になっている内容という程の事ではなかった。

「そういえばヴィンセントは用事があるんだろう?どういった用事なんだ?」

故郷でもあるまいしこんな辺鄙な所に来るなんて相当な用事なんだろうな、そう独り言みたいに言ったクラウドは、ヴィンセントからの返答に対してもそれ程大きな事を望んでいるわけではない。

ヴィンセントの事だから「大した事じゃない」だとかそういう切り返しになるのだろうと思っていたし、そもそも人の用事を迫り聞くというのもどうかと思う。

だからそれは本当に軽い気持ちで聞いた事だったのだが、どうやらそんなクラウドへの切り返しは思いのほか簡単なものではなかったらしい。

ヴィンセントは俄か真面目な顔つきになると、クラウドから視線を外して窓の外を見遣る。そこにはニブルヘイムの景色があり、それはとても静かなふうだった。

その静けさの中、静の雰囲気を持つヴィンセントが、言う。

「―――――最後の人間らしさを取り戻そうかと思ってな。そんな詰まらない用事だ」

「人間らしさ…?」

どういう事だ?

そう思って首を傾げたクラウドだったが、少ししてハッとある事を思い出す。

良く考えればそれは、ヴィンセントという人を思えば直ぐに浮かぶ事だったのに、何故だかそんな事は意識していなかった。しかし、思えば先ほどもそうだったのだ。

あの崖でクラウドを止めたあの手――――あれは確かに改造された機械の手である。

それを見た時にははっきり感じた事なのに、こうして話していると何時の間にかどこかに消えてしまうらしいその事実。クラウドにとってはそんなふうに時折消えてしまう事実だけれど、ヴィンセントにとってはいつ何時にも消えない事実なのだろう。

思えば、そうなのだ。

ヴィンセントのその外見だってその一つなのである。

何時まで経っても変化がない―――――年齢の止まってしまった身体。

「……」

ふと、クラウドは恐くなった。

別にヴィンセントに恐さを感じたわけではない、ヴィンセントと自分たちの間に流れるものの違いに、である。時が止まったヴィンセントの身体は永遠にこの外見のまま保たれるのだろうが、時間という物は常に進んでおり、当然クラウドやその他の人間はその時間の進みに伴って成長や老化をしていく。

このまま5年、10年と経ったら、当然クラウドやその他の人間はそれなりの姿になるだろう。しかしその時ヴィンセントは依然この姿のまま存在しているという事になる。

20年先も、30年先も、40年先も―――――ずっと、ずっと。

いつかヴィンセントの歳をも越して、いつかもっと歳をとって、それでもその時ヴィンセントと話す事が出来るだろうか。同じ時間の流れの中で過ごしそれなりの歴史を語り合う事も出来る、そんな仲であり続けたとしても何時かは―――…

――――――――そう…何時かは自分が先に、死ぬのだ。

「…なあ、ヴィンセント」

考えれば考える程恐くなるそれに、クラウドはふと口を開く。

ヴィンセント本人にそれを告げるのはタブーに近かったかもしれないが、それでも数十年先の事を考えると言い知れない不安のようなものが押し寄せてどうしようも無かったのである。

「俺が先に…死ぬんだよな」

「……」

シンと静まる店内の中でそっと響いたその言葉は、二人の間に重苦しいものを運んだ。

ヴィンセントはじっとクラウドを見詰めていたが、クラウドには同じ視線を返すことなど出来ない。

だって、考えると恐くて仕方無い。

それは自分が死ぬ事がどうのという問題ではなく、恐らく最終的にはヴィンセントの視点での恐怖を感じているのである。時と共に老化していくのは、悔しくても仕方の無い事だろう。文句を言ってもやがてはその時がやって来るのだし、それは歴史上ずっと続いてきた事でもある。

しかしヴィンセントはどうだろうか?

かつて年下だった仲間が段々と歳を取り、やがて変わり果て、死んでいく。その一生を見守り、更に次の世代の一生までをも見守る。しかしそれでも尚変わらない姿で過ごさねばならない事は、不老不死という幻想への憧憬などという甘いものをも凌ぐ恐怖ではないだろうか。

生きれば生きるだけ、痛みは募っていくのに。

「―――――クラウド」

ふと投げられた言葉に、クラウドはやっとヴィンセントの方を向く。

ヴィンセントは未だにクラウドの方を見遣っており、その目には先ほど同様強い何かが込められていた。そこにはクラウドの感性で言うところの“色”がはっきりと映し出されている。

 

 

 

 

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