幸せが崩れてしまうのじゃないかという恐れがあるわけではない。
 そうではなくて、"本当にこれでよかったのだろうか"という恐れが過ぎるのだ。
 セフィロスが聞いたら、きっと馬鹿な奴だと思われるに違いない。何を言ってるんだと怒るに違いない。だから未だにクラウドはそれを口にしたことはなかったけれど、それでもいつもそれを思わずにはいられなかった。
 セフィロスの短い髪、グレーの服。
 それは、かつてでは考えられなかった姿である。
 それでも今のセフィロスはそんな格好をしていて、その姿でクラウドに笑いかけてくれる。その姿にはかつての英雄の影はまるで無くて、そんな変わり果てたセフィロスを見ていると時々クラウドは後ろめたさを感じてしまう。
 別に自分が悪いわけではないのに。
 それでも、そんなふうに変わってしまったのは、奇跡的な出会いが起こったからである。クラウドと出会って、閉鎖的なあの神羅という組織から抜け出そうと計画をして、それを実行して、もう二度とあそこには戻らないと決意したから―――――だからセフィロスはあの姿で生きているのだ。
 もし、奇跡的な出会いが無かったら、自分と出会わなければ、セフィロスはそんなふうに変わったりはしなかっただろう。きっと今も英雄と呼ばれて生きていただろうし、素晴らしい剣捌きで世間を圧倒させていたんだろう。
 でも、クラウドの側にいるためには、それは捨てなければならなかった。そこから抜け出さなければならなかった。だからセフィロスは、クラウドと一緒にいるために、ただの"人"という意識すら上回っていたはずの"英雄"を捨てたのである。
 自分がいなければ、そんなふうにはならなかったのに。
 自分さえいなければ、こんなふうにはならなかったのに。
 幸せなはずなのに、そんなふうに思う。まるでこの幸せがいけないことのように、そんな事を考えてしまう。セフィロスには言えないけれども、それでもこんなふうに思うことは止められることではない。
「……」
 ―――――――――俺は、居ないほうが良かったんだ、きっと。
 そう思うと、肌を掠める風も何だか妙に冷たく感じられた。
 背後の暖かな部屋の中では、今でもまだセフィロスが新聞を広げていて、相変わらず無言でそれに見入っている。
 それを振り返ることすら、今は苦しくて出来ない。
 
 
 
 
 
 仕事をするでもない生活は、自然と二人でいる時間を多くさせた。
 しかしそれだけ共にいる時間が多くなると、逆に一人の時間が欲しくなるときもある。
 そういうのは特にクラウドの方が顕著のようで、クラウドは良くふらりと出かけては夕方に返ってくるということをしていたりした。
 そういう時、セフィロスは家にいることが多い。
 特に何をしたいという希望もないし、強いて言えばクラウドと一緒にいられればそれで良いという具合だから、夕方にクラウドが返ってくると考えると家にいるのが一番良いのである。そもそも、外に出て誰かに会ってしまったりしたら面倒なのだ。
「出かけているのか…」
 朝起きて、クラウドが家のどこにもいない場合、大抵クラウドは夕方までは帰ってこない。一番最初にそうされた時には焦ったものだが、最近ではそれがパターン的になっているから特に驚く事は無い。そういう日は、ゆっくりと帰りを待てば良いのだ。
 クラウドの姿が無かったことで今日の予定がすっかり決まってしまったセフィロスは、適当なものを見繕うとそれを食し、それから新しい新聞に目を通す。飾り物のようになってしまっているテレビは、今日もどうやら出番がないらしい。
 ソファにどさりと腰掛けて新聞に目を通し始めたセフィロスは、毎度毎度一面を飾っている神羅の話題に思わず苦笑した。毎日よくもこう話題があるものだと思うが、神羅という会社はどうやらネタには尽きない場所らしい。まあ、ニュースになるような大きな話題を作り出せるのは神羅くらいのものだから、それも当然なのかもしれないが。
「昨日は支持率の公表、今日は高感度アップの為の自作自演…か。馬鹿な奴らだ」
 一面の見出しはこうだった。
 "ミッドガルへのテロ行為を見事制圧"
 テロ行為に及んだのは民衆を脅かす武装集団で、治安を乱すことを目的に日夜武力行使に及んでいたとのことが書かれている。その書き方からすればその武装集団は悪そのもので、神羅は善そのものというふうだ。良くできている。
 しかし、かつて神羅の武力の筆頭に立っていたセフィロスにしてみれば、それがいかに馬鹿げた記事かが良く理解できていた。
 セフィロスの強さは並ではなかったし、何か大事が起これば神羅は必ずといって良いほど最終兵器としてセフィロスを起用していたものである。そうして最終的な尻拭いをさせられる時、セフィロスは一度も失敗をしたことはなかったし、そもそも今までの経験上からいっても失敗の二文字とは無縁だった。
 その頃から、神羅はこうした記事をでっち上げては民衆の好感度を図るということをしている。しかしそれは実際に起きた出来事などではなく、自作自演なのだ。セフィロスはそんなテロ行為に関わった事は今まで一度として無いし、それに関わったことが無いとなると、仮にそれが本当に起こったものだとして大したものではなかったという事になる。セフィロスの手を煩わせるまでもなく解決できる程度のことなのだ。
 それを大げさに書き上げることで、まるで正義の味方のように思わせる。これが神羅の好感度の上げ方で、こういうやり口にはセフィロスもほとほと呆れていた。今だけではなく、もうずっと昔から。
「なるほどな、共感を得て兵士募集に繋げようというわけか。まったくとんだ…」
 嘘つきだな、そう皮肉を口にしようとした、その時。
 コン、コン。
「?」
 ふと、玄関口でそう音が響いた。
 訪ねてくる人なんていないだろうと思って呼び鈴すら取り付けていないこの家では、本門者はそうしてドアを叩くしかない。
 しかしこれは、とても稀なことだった。
「……」
 一体誰だ、そう思いながらセフィロスはすっと立ち上がると、急くでもなく玄関までを辿る。そうしてドアにまでやってくると、少し間を置いた後にそっと外とを隔てるドアを開け放った。
 ―――――と、そこには。
「お久しぶりです、セフィロス」
「お前は…」
 礼儀正しく90度の礼をされ、面食らいながらセフィロスはそう声を絞り出す。
 セフィロスの前に立っているのはどう考えても神羅に在籍している兵士で、確かセフィロスと共に仕事をした事があった男である。名前は知らないし詳しい任務のことなど覚えてはいないが、それでも何となく会ったことがあるというふうには思う。
 しかし、問題はそこではない。
 問題なのは、今そういう男が此処に来ているという事である。
 だって此処には、神羅の力は及んでいないはずなのに。
「何故…」
「そんな顔しないでください。自分はただ命令で来ているだけで、個人的にはこんなふうにするのには抵抗があるんです」
 すみません、そう謝る男に、セフィロスはどう返して良いか分からなかった。
 暫く幸せの泥濘に漬かっていたせいか、それとも単に戸惑っただけかもしれないが、ともかくそんなふうに言われても返す言葉が見つからない。
 じゃあ帰れ、とでも言えれば楽だったが、そう言ったところでこの男が命令に従って此処に来ている以上それは無理な相談であることは分かっている。例え個人的には抵抗があると言っていても、神羅の人間は命令に絶対に従うようになっているのだ。特に、彼のような真面目な兵士は。
「心苦しいですし、簡潔に言います」
 兵士はそう言うと、セフィロスにとってもまた心苦しいことを、そのまま立て続けに口にした。
「私は神羅カンパニーソルジャークラス1st・セフィロスの追跡完了と所在報告を上層部に提出しました。命令はあなたを神羅に連れ戻す事」
「―――だろうな」
 そんなものは、聞かなくても分かる。
 遅かれ早かれいつかはこうなるだろうと分かっていたし、その時が来たらそれなりの覚悟をしようとは思っていた。もちろん、その覚悟というのは神羅に帰る覚悟などではなくて、あくまで抵抗する覚悟である。
 神羅の手の及ばない地域は少ない。
 今この界隈がそれでも神羅の情報網に引っかかってしまった事を考えると、もう道は少ないといえる。どこに隠れようと、神羅は必ずやってくるのだから。
 そうなれば、神羅に存在を晒しながら逃げることになる。まるで逃亡劇のように。
 その時に出来る決断とは、ただ一つ。
 神羅を脱する為に捨てたはずのものを、逆に武器にする他ない。
 それは―――――――――――戦う事。
 捨てたはずの武器を持ち、忘れたはずの血に染まる事。
 それしか方法は無いのだ。
「殺しますか、私を」
 セフィロスの心を読んだのか、兵士はそう言った。
 その言葉を耳にしたセフィロスは、ただ静かに、
「…それ以外に道があるならば教えてくれ」
 そう言った。
 
 
 
 
 
 稀であるということは、可能性が0ということではない。
 限りなく0であるだけであって、可能性は常にあるのである。
 そういう出来事が今、クラウドの目前で起こっていた。
 まさかそんな事はないだろうと思っていたことが正に目の前で起こっていたら誰だって驚くだろうけれども、可能性は常にあったのだと考えると納得せざるをえない。
 日曜に行くあのマーケットの、その隣にある珈琲ショップ。あの店のテーブルの隅に貼られている兵士募集の張り紙はまるでやる気が感じられなかったし、まさかあの紙など見る人はいないだろうと思っていたけれど、可能性は0ではなかったのだ。それが証拠に、目前には兵士になるんだとやる気満々の男が座っている。
 来なければ良かった。
 クラウドは心の中でひっそりとそう思う。
 少し前から知り合いになったその男は、その時は何でもないただの商家の息子で、別に友達でも何でもないし話をするのも珍しいくらいのものだった。出会った場所はバーだったが、別に酒の席で出会ったわけではない。そのバーは昼間は喫茶店として営業していて、クラウドはたまたま一人で出歩いているときにその喫茶店の方に入ったのである。そこで、たまたまその男に出会ったのだ。
 それからは、一人でふらりと出歩いているとたまにその男に会うことがあったから、その時には挨拶をしていたのだが、別に話し込むという事は無かった。
 けれども、今日はちょっと違っていたのである。
 今日の場合は「会おう」と誘われていて、一体どうしたことかと思いながらクラウドは此処までやってきたのだが、開けてみればそれは後悔するばかりの話だった。
 男は、以前とは打って変わった調子で饒舌を振るう。
 その内容は「俺は神羅の兵士になるんだ」、だった。
 ―――――――まさか、こんな事になるなんて。
 そう思ったけれど、来てしまったものは仕方が無い。その上、そこにゲストまで来ていて、更には自分が呼ばれた理由がそこに繋がっているときてしまったら、もう諦めるしか方法は無かった。
 男は、クラウドの見知らぬ青年を連れて店にやってきた。
 その青年は、クラウドが思わず息を呑むような格好をしており、それはどこからどう見ても神羅の甲冑だったのである。つまり、男が連れてきたのは神羅の人間だったのだ。
「こいつ、俺の幼馴染なんだ。音信不通になったなと思ったら、すっかり立派になっちまってさ!こいつ、神羅の兵士やってるんだぜ」
 そう紹介された青年を、クラウドは知らなかった。
 かつて神羅で、同じく兵士をしていたクラウドからすれば、それはもしかしたら知っているかもしれない可能性のある人間だったが、知り合いではなかったのである。
 それはそれでホッとしたけれど、だからといって軽視はできない。
 だって自分は、神羅を逃れてきたのだ。
 しかも、神羅が探している――――――――セフィロスと共に。
 神羅の手の届かないこんな場所でまさかこんな事が起ころうとは思ってもみなかったけれど、事は起こってしまった。しかもそれは微かなものではなく、明瞭で的確なものだったのである。
「この前マーケットでお前を見かけたけど、お前と一緒にいたのってもしかして…行方不明になってるっていう、あのセフィロスじゃないのか?」
「――――」
 声が、出なかった。
 "あのセフィロスじゃないのか?"―――――そう問われて返す言葉は?
 そんなの、思いつくはずが無い。
 ただ、鼓動がドクンドクンと早まるばかりで、まるで口が動かない。
 すぐにでも否定した方が良いのは分かっているし、此処で無言になることは肯定と同じことだと思われても仕方ないことだが、それでもあまりの衝撃にクラウドは口を開くことすら出来なかった。開いたのは口ではなく、目の方である。
 その目の中に、幸せを壊す神羅の兵士が映っている。
 緩やかな流れを壊す、権力の破片が映っている。
「聞いてた姿とはちょっと違ったけど、銀髪って珍しいし、あんだけの長身も珍しいし、そうとしか思えなかったんだよな」
 なあ、あれってセフィロスなんだろ?、そう問われたのに、やはり答えは返せなかった。
 それを肯定と見なしたのか、男は自分の予測が正しいということを前提に話をし始める。
「お前がどこであんな大物とであったのか知らないけどさ、実は神羅は今セフィロスを全力で探してるんだよ。まあ英雄が行方不明になったんだから当然だな。分かるだろ?」
 そんなの、とっくの昔から知っているよ。
 クラウドはそう叫びたかった。
 そんなの百も承知なのに、それを知っていて神羅を抜け出してきたのに、目前の男はクラウドを無知の人間とみなしていかにもそうに話を振ってくる。神羅の兵士になりたいというだけで神羅の何たるかを知りもしない男が大仰に言葉を発してくる。
 神羅の兵士としてのプライドなんてとうの昔に捨ててしまったけれども、それでもそんなふうに振舞う目前の男をクラウドは何だか許せなかった。
「こういう場合、やっぱり神羅に協力すべきだと思うんだ。別にお前がセフィロスを隠してたってわけじゃないんだしさ、お前は悪くないんだから。別にお咎めはないって。だからさ、ちょっとセフィロスに会わせてもらえないかな。そしたら俺達が神羅に連れてく」
 そうしたら万事OKだよな、と、男は隣の青年に同意を求める。
 すると神羅の甲冑を纏った青年は、短くうんと頷き、それが一番だと口にした。そして更には、説得するかのような口調でクラウドにこんなことを言う。
「是非協力して欲しい。俺は神羅の兵士といっても下等兵士だ。セフィロス追跡を担当しているのはまた別の人間だから俺には直接関係ないし、仮に俺がセフィロスを神羅に連れていっても神羅から報酬が出るわけじゃない。だが、神羅の人間としてこれは見逃せないんだ」
 笑ってしまいそうだ、クラウドはそう思いながらその男の話に耳を傾ける。
 あんまりにも悔しくて、笑ってしまいそう。
 自分が神羅とは切り離された無知な人間と理解されている事も、何でもないただの下等兵士がいかにもそうに神羅を語っている事も、セフィロスを知らない人間がセフィロスを同胞と考えている事も、何もかもがあんまりにも悔しい。
 だけど、返す言葉は見つからない。
 何故ならば、この胸にはいつも迷いがあったからである。この幸せは絶対壊してはいけないもので手放せないものだと思っていながらも、常に迷いがあったから。
 "本当にこれで、良かったのか"?
 ―――――――その、迷いが。
「神羅にはセフィロスが必要なんだ。だから、セフィロスを連れて帰りたい」
 ハッキリとした声で青年にそう言われた時、クラウドの顔は笑っていた。
 悔しくて悔しすぎて笑わずにはいられなくなった心が、歪んだ笑みをそこに作っている。しかしその笑みの本意など目前の男たちには分かるはずがなく、彼らはその笑みを理解だと受け取った。クラウドはセフィロスを引き渡すことに了承したのだと、彼らは理解したのである。
「分かってくれて嬉しいよ」
 そう言って屈託なく笑った男達が憎らしかった。幸せを壊すその笑みが恨めしかった。
 一体何がそんなに嬉しいんだろう。
 一体どうしてそんなにセフィロスが必要なんだろう。
 彼らはほんの少しでさえ考えないのだ、逆の発想ということを。
 神羅がセフィロスを必要だなんて分かりきっている、だけどセフィロスは?
 セフィロスは神羅を必要としているんだろうか?
「…必要、だよね」
 声になるかならないかほどの微かな言葉がクラウドの口から漏れる。それはあまりにも微かなものだったから、目前の彼らには聞こえなかっただろう。
 そう、必要なんだ。
 ――――――――自分こそ、セフィロスが必要なのに。
 
 
 
 

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