無力な胸に無力な願いを 誰かが置いていってしまう言葉を、俺は此処で聞いている。 それを心に積もらせて積もらせて、いつか消えますようにと願っている。 本当は消したくないのに、泣きたいくらいにその言葉を心に大切に仕舞っているくせに、消えますようにと願ってる。 自分勝手な自分。 だけど、優しい言葉は辛すぎるんだ。 俺には、力が無いんだ。 優しい言葉に耐える力も、辛い言葉に耐える力も。 「どうした?寒いのか?」 ベットの中で小刻みに震えた肩に、セフィロスは怪訝そうな顔をしてそう言った。 隣に眠るクラウドの肩が震えていたら彼がそう聞くのはごく当然の話で、だからクラウドもその言葉に素直に答えを発する。 寒いんじゃないよ。ちょっと、悲しくなっただけ。 そんな曖昧な回答を発したクラウドに、セフィロスは納得できるはずもなくやはり怪訝そうな顔をする。 「悲しい?一体何が悲しいんだ?」 もしかして泣いているのか、そう言葉を付け加えて、セフィロスは背を向けて眠っていたクラウドを振り向かせる。 すると、クラウドは泣き笑いのような顔をしていた。 だけれど、涙は流れていない。ただ、そういう微妙に悲しそうな顔をしていたというだけである。 しかし、それは逆にセフィロスを心配させた。 もし泣いていたなら話はもっと簡単だっただろう。泣くほど悲しい事が何かあったならばそれを聞けば良いし、その涙が枯れるまで付き合ってやればよいのだから。 だが、そうじゃない。 「…クラウド、一体どうしたんだ」 「ううん、何でも無いんだ。ただちょっと、悲しくなっただけだよ」 「何が?何が悲しい?」 そこが問題だというのに、クラウドはそれを口にしようとはしない。その問いにだけは頑なに首を横に振り、なんでもないんだ、と言う。 そんな頑固な調子のクラウドに、セフィロスは一つため息を吐いて、それからクラウドの髪に手をやった。絡めた指はなめらかな金髪をすわりと通っていき、最後に唇に辿り着く。 セフィロスの指が唇に触れたと思った次の瞬間には生温かい感触があって、クラウドはそれがセフィロスの唇だと知った。 慰めてくれてるんだ。 そう思うとクラウドは少しだけ嬉しくなった。 しかしそれでもその表情から悲しそうな色が消えることはなく、それはセフィロスの「おやすみ」の言葉と消灯を受けても尚、暖かなベットの中でひっそりと息づいていた。 とてもとても苦労して手に入れた幸せが、今、此処にある。 それは本当に大切で大好きで、手放せはしないもの。 だけれど、たまに分からなくなる時がある。 ―――――――本当にこれで、良かったのか。 日曜の晴れた日には、二人でマーケットに行くことにしていた。 その日も良く晴れた日曜日で、セフィロスとクラウドは二人でマーケットまで足を運んでおり、そこで日々の食料品だとかを買い込んでいた。 人間は肉食動物なんだから肉を食べなければ駄目だとセフィロスが言うから、クラウドは食べたくも無い肉を沢山カゴに放り込む。それを見てセフィロスは満足そうにしていたけれど、本当は自分が食べたいのが7割、クラウドがあまり肉を食べないから食べさせようとしているのが3割、というのが本当のところだとクラウドは知っていた。 最後まで良く噛むとゴムみたいな味がするから嫌なのに、セフィロスはちっともそれに耳を貸さない。それどころか、野菜ばかり食べていたらいつか人間じゃなくなるとまで言った。全く変な理屈を並べるもんだと思う。 マーケットで買い物を済ませると、マーケットの隣にある小さな珈琲ショップで休憩をするのが二人のルールである。 その珈琲ショップは別にこだわりも何もない普通の珈琲ショップで、朝の内に沢山珈琲を作り置きしているのだ。ラップを蓋にしたデカンタから注がれる珈琲は美味しくも何とも無い。店の中は閑散としていて人っ気がまるで無い。 だけれどその静かな空間で、特別美味しいわけでもない珈琲を飲むのが、クラウドとセフィロスにとってはちょっとした幸せだった。 いつも通り、勝手に指定席にしている店内奥の窓際の席に腰を下ろして珈琲を飲んでいた二人は、何でもない会話をして時間を過ごしていく。窓の向こうではマーケットにやってきた人が数人歩いていて、大変そうに大荷物を抱えている。 この界隈の人は皆このマーケットに来るのだが、それというのも此処が唯一のマーケットだからである。だから、中には遠出をして此処までやってくる人もいて、そういう人は沢山買い込んで帰っていくのだ。 ここは、土地柄あまり裕福というわけではない。その代わり、物価は安い。 人の住んでいる数は少なく、隣近所といっても隣家は結構遠くにあったりする。まれに会うとこんにちはと挨拶はするものの、この前会ったのはいつだったか思い出すまで数秒かかるというくらいのものだ。 地図からすればミッドガルから一番遠い場所で、驚くべき事にこの界隈には神羅の手が伸びていない。魔晄路建設の話もあったらしいが、地質調査の結果、あまりにも摂取量が見込めないということで計画自体が破棄されたのだとかいう。そのおかげで、この界隈は神羅のデータには載っていないのだ。要するに神羅でさえも捨てた場所なのである。 「また貼ってあるよ」 クラウドはそう言って、テーブルの隅にこじんまり貼られている紙を指差す。 それは神羅の兵士募集の張り紙で、内容こそ良さそうなことが書かれていたが、紙の隅々が汚れていてあまり良いふうには思えなかった。募集の貼り紙は貼ってみるものの、熱心ではない証拠である。 「どうせインセンティブ目的だろう。此処の貼り紙を見て兵士応募すれば、此処の店主に金が入る。ちょっとした取引だ」 「へえ…でもどう考えてもやる気ないよね、この貼り方じゃあ」 「そうだな」 そう言って笑ったセフィロスは、すっと伸びた長い指で珈琲カップを口に運ぶ。 それを見ながらクラウドは、いつもながら綺麗だなあと思っていた。 綺麗なんて言葉は褒め言葉じゃないと怒るから口には出さないけれど、セフィロスの仕草や物腰は綺麗だと思う。だけれど、セフィロスが言うにはそれは誰かに教わったものじゃないらしい。幼少の頃にそういう教育を受けたわけでもないし、そういう環境にいたわけでもない。だからそれはセフィロスが独自に持っている雰囲気なのである。 「ねえ、セフィロス」 この綺麗な指が、かつてしていた事。 それを思い出し、テーブルの隅の貼り紙に目を落としながらクラウドはそっと口を開いた。そうする間、表情は無意識に悲しそうなものに変化していたが、クラウド自身はそれに気付いていない。 「戻りたいって…思ったりしないの?こういうの見ると、何ていうか…自然と思いだしたりしない?」 「神羅の話か?」 ずばりそう言われて、クラウドは顔を上げることが出来ないままに「うん、そう」とだけ言う。 あまりこの話題は、良い話題じゃない。 いや、むしろ悪い話題に分類されるものだろう。 何となくそれは分かっていたが、それでも気になっている部分でもある。 そうしたクラウドの気持ちを知ってか知らないでか、セフィロスはまず最初に「別に」という簡潔な言葉を放ち、それに付け加えるように理由を述べた。 「それはもう過去の話だしな。それに、これは俺が選んだ事だ。後悔は無い。戻りたいなどと思う必要はどこにも無い」 「そっか…」 クラウドはそう答えながら、目前のセフィロスを見つめていた。相変わらずの表情で。 その目に映るセフィロスは、昔とは少し違う姿をしている。 かつて、その綺麗な指先を血で染めるのが普通だった頃、セフィロスは長い銀の髪を揺らしながらその長身の背に威圧を背負っていた。だけれどセフィロスは、トレードマークのような長い銀髪をばっさりと切ってしまい、今は肩ほどまでしかその髪は伸びていない。威圧の象徴のような黒い服を脱ぎ去ったセフィロスは、今ではグレーの服に身を纏っているからまるで全身がグレーである。その色の差は、セフィロスという人のイメージすらもさっと変えてしまっていた。 やんわりとした印象の、綺麗な人。 今のセフィロスは、そんな人のような気がする。 顔の造作や上品そうな動作からすると、さすがに泥仕事のようなことは似合わないけれど、それでも剣が似合うというふうではない。かつては剣が似合う人だと思っていたクラウドも、今ではそんなふうに思ったりはしないのだ。 この界隈に住むようになってからは、貯蓄を切り崩すような生活をしている。 溜まりに溜まったギルを手に、新たな収入は特に無いままに過ごす日々。 セフィロスが過去に溜めたギルは恐ろしいほどの額で、普通に生活をするには全く問題がないというほどのものである。クラウドもいくばくかの貯蓄があったが、セフィロスのそれと比べてしまっては月とすっぽん並で、あまり足しになっているとは言いがたい。 それでも二人は、協力をしながら今の生活をしていた。 ひっそりと、権力の手の届かない場所で、息を潜め。 「不思議だね、セフィロス。此処は、本当に神羅の話題が全然入ってこないから…何だか別の世界にいるような気分になるよ」 「そうだな」 別世界かもしれないな、そうセフィロスは続けて、ふいに夕食の話題などをし始める。 それだからクラウドは、今までの神羅の話題をそこでストップさせねばならなかった。夕食の話題なんて難だと思うけれど、神羅の話題を継続するためにそれを拒否するのは更に難だと思う。 きっと、これで良いんだ。 他愛無い夕食の話題をしたりして、少し笑いあって、そうして過ごしていけば幸せなままでいられる。過去のことなんて忘れてこのまま此処でセフィロスの隣にいれば良い。それはとても大切で、絶対に手放したくないものなのだから。 「俺、今日は暖まるものが食べたいな」 夕食の話題にそんな言葉を投げたクラウドは、買い物袋から覗いた細長い表面の固いパンを見つめる。 それは、幸せを表しているふうだった。 夕食を済ませた後、セフィロスはTVなど付けずに新聞を読んでいた。それが常だった。 夕食後の団欒時間に音が無いのは二人の空間では当然のことで、クラウドはすっかりそれに慣れていたから暇だなどとは思わない。ただ、セフィロスがそうして新聞を読みふけっているから何かを一緒にするということは出来ないから、いつも庭に出てぼんやり考え事をしていた。 庭に備え付けてあった木製ベンチの上で蹲るように膝を抱えて座ったクラウドは、そろそろ更けようとする夜の空を見上げながら、そっとある事を考える。 こんなにゆったりとした時間の流れの中なのに、どうしていつもこんな事を考えてしまうんだろうか。 そう思うけれど、考えるのはいつも過去の事だった。 ―――――――――――――かつて…あの組織にいたときの、事。 セフィロスに「戻りたいと思わないの?」と他人事のように聞いてみたものの、それは本当はクラウドにも関わりのあることである。何せクラウドもかつてはその組織の中にいて、セフィロスとはそこで出会ったのだから。 「…奇跡だったなあ」 あれは、奇跡的なことだった。 セフィロスと出会ったこと、それから、セフィロスとそこを抜け出てきたこと。 それらの出来事は未だに信じられないような出来事だけれど、今こうして二人で過ごしている以上は信じないわけにはいかない出来事でもある。 かつて、セフィロスは英雄だった。 そして自分は、神羅の兵士の一人だった。 それでも今はお互い、ただの"人"になった。 神羅という組織から抜け出して、二人は英雄でも兵士でもなく、ただの"人"となったのである。人間が"人"であるという事はそもそも当然のことだったが、それでもそこにいた頃の二人にはそんなふうに思うことなど出来なかった。それは、神羅という組織があまりにも"人"という本質の自分を食らっていたからである。 英雄であったセフィロスは、当然、一兵士であるクラウドには手の届かない存在だった。一緒に行動することはおろか、一緒の場所にいることすら在り得ないことだったのである。 それでも、奇跡は起こった。それは、出会いという奇跡である。 何でもない普通の日、本当に何でもない用事の最中に、クラウドはセフィロスという人に出会った。出された課題の提出がちょっとばかり遅れていて、それを提出しにいくという用件で廊下を急いでいたクラウドは、本当にたまたまそこでセフィロスとであったのだ。 その時のセフィロスは大層機嫌が悪く、廊下を急いでいたクラウドに目くじらを立てたものである。スクールの教師のように、廊下は走るな、などと怒鳴ったことを今でもクラウドは覚えている。 "廊下は走るな!" "あ、す、すみませんっ。急いでいたので、つい…" "つい?つい、などという言葉で済まされるならばこの世にルールなどは不要だ" "は、はい…" "お前、名前は?" "え…" クラウド・ストライフです、とそのまま答えたと思う。そしてセフィロスは、そうか、と答えたと思う。しかしただそれだけで、セフィロスはそれを記憶することもしなかったし、その後何があったという事も無かった。セフィロスはただそこで名前を聞いただけであってそれに意味などは無かったのである。 だけれどその無意味なものこそが、奇跡的な出会いなのだった。 その奇跡的な出会いから数ヶ月、そんな出会いがあったことなどすっかり忘れてしまっていたけれど、やはりその時も奇跡的に二人はお互いを知るチャンスを得たのである。それはやはり些細なことで、床に落ちたコインの音に反応したというそれだけのことだった。 誰とも知らない兵士の持っていたコインが床に落ち、チャリン、と音が鳴る。 その音に、ふっと振り返る。 しかしそうして振り返ったとき、最初に目にしたのはコインなどではなくお互いの姿だった。たったそれだけのこと、それがキッカケだったのである。 あの時の何でもないコインの音は、今でも心の中で鳴り響いているような気がする。 その音はお互いを繋いだ音でもあるし、お互いを自由にする音でもあった。 閉鎖された神羅という空間の中だからこそ響き渡ったあの音は、今では広い空の下、心の中で鳴り響いている。但しそれは、それでもやはり神羅の時の音のままなのだ。あの閉鎖された空間の中でなければ響かなかっただろう音は、そうして自由になったはずのクラウドを繋ぎとめている。 「……」 空を見上げていたクラウドは、ふっと、膝に顔を埋めた。 外は肌寒いわけでもなく、丁度良い風がそよそよとしている。それは柔らかくてとても心地よかったけれど、そうして肌に当たる心地よさはクラウドの心に負担を与えていた。 負担?―――――いいや、これは恐れなのかもしれない。 今、こうしてセフィロスと一緒に過ごしていること。 それはとても幸せなはずなのに、満足なはずなのに、それでも何となく恐ろしさを感じるときがある。それは、こうして一人で庭に出ているときや、マーケット近くの珈琲ショップに貼ってある張り紙を見たときに良く感じるものだ。 |