目を見張るほど、それは奇妙な空間だった。

まるで音が消失してしまったかのように、空白。

窓際で感じる風も、目に映る姿も、色も、全てがその瞬間に止まってしまったかのような気がして、何だかとてつもなく奇妙だった。それは多分、クラウドが作り出した雰囲気なのだろうと思うが、とても奇妙で、それでいてどこか心地よかった。最早そこが神羅だとは思えないくらいの感覚。

そこは―――――。

「俺の故郷はまだあるから、まだ行けない。だけど俺はそこへ行きたい。そこを探してる、ずっと探してる。でもそこを見つけるには故郷を失わなければならないんだ。だから俺ね、故郷を消さなきゃならないんだ。まずは、ね」

「…な、にを言ってる…?」

やがてハッキリとした口調でそう言われ、セフィロスはふと恐怖に似たものを感じた。故郷を消すとは、すなわちこの世からの抹消ではないか。だとしたらクラウドは、常日ごろこんなふうにのんびりとはしているが心では何かテロ的なものを考えているのかもしれない。それは少し破壊的な考えかもしれないが。

しかしセフィロスが危惧したそのようなことは、クラウドの心の中には無かったようである。それはクラウド自身の言葉が証明していた。

「こうして外を見てるとね、故郷を消せる気がしてたんだ。だから俺、いつも此処にいる。トレーニングルームから見える景色って、ほら、丁度神羅の社旗とか見えるでしょ。だから丁度良いんだ」

そう説明するクラウドは、少し色を取り戻したように見えた。いつもの淡さが少しなくなったような感じである。

トレーニングルームから見える景色は確かに綺麗なものではなかった。クラウドが言ったように、丁度兵舎の門などが見えるから、そこに掲げてある社旗も見える。それはいかにも神羅を象徴していて権威の象徴ともいえた。セフィロスにとってはその社旗も門も単なる飾りにしか見えなかったが、どうやらクラウドの中では大きな意味を持っているらしい。

「ずっと観てると、此処は神羅なんだって実感するでしょう?そう思うと、俺は神羅にいる、神羅の人間だって、そう思えるんだ。神羅に入った時言われたけど、神羅に入った以上は此処が死に場所になるんだって」

「…ああ、そういう文句もあったな」

それは確かに良く言う文句だった。兵士という職業柄そう言われるのだが、それは主に戦争時期から引き連れてきた、魂みたいなものだ。そういうふうに思うくらい、神羅を常に念頭に置けと、そういうことなのである。神羅の為に生き、神羅の為に死ね、と。

一種のファシズムである。

「それを実感し続けて、本当に自然にそう思えるようになったら…俺の故郷は多分、あそこじゃなくなると思うんだ。神羅になるんだって思う」

「しかし神羅が故郷になってしまっては、元も子も無いのではないか」

何しろクラウドの言う「故郷を失った人が帰る場所」というのは、故郷を失わなければ行けないのだから。

クラウドは、うん、と頷いて、でもね、と続けた。

「でも俺、まずはニブルヘイムを消さなきゃ。その為に神羅を故郷にするんだ、今はね。その後のことはまた後で考える」

「しかし――――」

もしクラウドが言うように神羅が故郷になってしまったら。

そうしたらまたクラウドは、その「神羅」という故郷を消さなければならなくなるのではないだろうか。そうなってしまうとこれは堂々巡りでいつまでも辿り着けない。

それを口にしようと思ったセフィロスだが、その後の言葉は続かなかった。

何故なら。

「…!」

―――――――――唇に、生暖かい感触。

気付いた時にはもう、すぐ近くにクラウドの顔があった。閉じかけの瞳の奥にクッキリとした蒼い瞳。それが、コチラを見つめている。

最早、何も言えなかった。

ただそうされて居ること…唐突の口付けをされた事だけが、目の前にある真実で。

嫌な感じはない。ただ生暖かくて、柔らかで。

単純に感じたのは、それだけだった。

「…ねえ」

やがて唇が離れ、湿ったそこが外気に触れたとき、その声は聞こえた。

「―――――――――連れてって」

 

―――――――――――…どこに?

―――――――――――…どうやって?

―――――――――――…一体……

 

 

何の為に?

 

 

 

 

 

雪が降っている。

世界には色々な景色があるが、その白く染まった景色だけは心を平静にしてくれるような気がした。

白く染まった世界は、純粋さを心に呼び戻すから。

白く染まった世界は、全てを凍らせてくれるから。

寒くて、冷たくて、暖かさなど思い出さずにすむから。

 

白い息を見つめながら、セフィロスは空を見上げた。

もう幾度この空を見上げては落胆しただろうか。何故空はいつでもこう同じ顔で見下ろしてくるのだろう。あの日もこの日もいつの日も、変わらずにそこにある。そういう事実がとてつもなく憎らしいと思う。

世界は―――――――こんなに変わってしまったというのに。

セフィロスの中の世界は確かに恐ろしいほど変わってしまっていた。そういう実感の中で生きているというのに尚、変わらないものがこの世に存在していることが許せない。

いつの日だったか、クラウドが見つめていたあの外の景色の中にもこの空はあったはずで、それはあの日と変わらず、ずっとそこにあるのだ。

こんなに、変わってしまったというのに。

「すまないな…」

そう独り呟いて、セフィロスはソファにもたれた。

四角い部屋は、外気の影響でもって寒い。

外は雪が降っていて、この部屋には暖房器具がないから、その影響をそのまま受けることになる。だからといって特別暖かい格好をしなくても済むくらいに身体は鍛えてあるので問題はないが、それでも自分以外は暖かくしておかねばと思う。

だから、隣のソファで横たわっている体には、そっと毛布をかけてやる。

「クラウド、済まなかった」

一つ覚えのように繰り返すその言葉は、セフィロスの心に沈殿する深い悲しみの表れでもある。もう何度クラウドにこの言葉をかけただろうか。数え切れないくらいには、何度も謝罪してきたつもりである。

雪の降るこの場所は、セフィロスが選んだ場所で、クラウドが望んだ場所ではない。其の事実がセフィロスにそんな言葉を言わせるのである。

クラウドは昔から言っていたのだ。それはもう神羅の一般兵時代から、ずっとである。

故郷を失った人が帰る場所。そこに行きたい、と。

そしてクラウドは言っていたのだ。

“連れてって。そこに”

けれどセフィロスはそのクラウドの望みをかなえることはできなかった。理由は簡単、セフィロスにはその場所を見つけることはできなかったし、その場所が本当に存在しているかどうかも分からなかったからである。クラウドはその幻想話のような場所のことを、詳しく述べることはしたことが無かった。それはクラウドも詳細を知らないからなのかどうか良く分からないが、とにかく、どんな場所で、どの辺にある、などということが一切分からない。もしそれが地図にでも載っていたならば直ぐにでも連れていけたのに、残念ながらそこはそんな単純なものではなかったのである。

故郷が無いなら、行ける。

そう言っていたが、セフィロスには未だ分からなかった。分からなかったけれど、クラウドを連れてどこかに行かねばならないと思っていた。だからこの土地にやってきたのである。

雪が降る土地。寒くて、暖かさのない土地。

何故こんな場所を選んだかといえば、雪で白く染まった景色は心を平静にしてくれるような気がしたからである。

白く染まった世界は、純粋さを心に呼び戻してくれる。

……それは、最初にクラウドに引かれたあの時の純粋さを。

白く染まった世界は、全てを凍らせてくれる。

……それは、今迄あった全ての辛い現実を。

寒くて、冷たくて、暖かさなど思い出さずにすむ。過去の優しい暖かさを、思い出さずに済むから。この心にそのような暖かさが残ってしまってはいけないのだと、そう思う。何しろ自分は、クラウドの望む場所に導くことができなかった。

それが、辛い。

だからそんな自分は、暖かさを感じるなど許されない。寒ければ寒いほど良い。この土地に降る雪の中で、冷たく凍ってしまえば良い。

そう―――――思う。

 

 

 

 

 

いつからだったか、そのトレーニングルームには行かなくなった。

何がそうさせたのかは不透明である。

とにかくそうなってからは生活が元に戻り、セフィロスはクラウドのことをほぼ忘れている状態だった。しかし幸か不幸か、クラウドに会う機会は増えてしまったのである。

それはある日、ザックスの陽気な声で始まった。

「なあ、こいつクラウドってんだ。友達になったんだ。な、クラウド!」

そう言われて、ザックスの隣に立っていたクラウドは躊躇いながら「うん」と頷く。

その動作を見ながらセフィロスは何も言わずに立ち尽くす。

まさか―――――――こんなふうに紹介されて再会することになろうとは。

元々互いに神羅の人間なのだから、どこかしらで会うことはあるだろうとは思っていたが、まさかこんなふうに会うなんて。しかもザックスの紹介で、まるで初対面かのように会うのは何だか妙な感じだった。

「こいつ一般なんだ。だから未来のソルジャーさんだって」

そう言って笑ったザックスに、クラウドは恐縮して「そんな」だとか言っている。けれどセフィロスはそれに対してただ「そうか」と言っただけだった。

こんなふうに会って、深く関わるのは何だか嫌だった。しかもクラウドの態度はまるで本当に初対面かのような感じで、それも何だか癪に障る。

あれほど――――――あれほど知りたいと思った心なのに、そう思ってしまう。

トレーニングルームで見せた淡い笑みはどこかに消え去ったかのように、その時のクラウドは原色の表情を持っていて、それはセフィロスに違和感を覚えさせた。

そうじゃない、それじゃない。

そう思う。

それでもそこにザックスがいることで、そんな態度を見せるわけにはいかなかった。まさかそんな不審な態度を取れば、ザックスとて何かしら感づくことだろう。もし感づかれたとしてそれがどうと言うわけでもないのだが、何となくトレーニングルームでのことは秘密にしておきたかった。二人だけの秘密に。

しかしそんなセフィロスの心の内とは正反対に、クラウドはそんな事など消し去ったようにスッキリとした、そして少しはにかんだ笑いなどを見せたりする。

しかも、こんなことまで言う。

「会えて光栄です」

――――――――何を言っているんだ、こいつは?

セフィロスがそう思うのも仕方の無いことだった。会えて光栄も何もない。あのトレーニングルームの窓際でクラウドがしたことを考えれば、もう既にその次元など超えているのだ。あの、唐突の口付けだって…そんなものは超越している。

憧れの対象であったはずのセフィロスに、自ら口付けたクラウドは、今はこんなふうに嘘の笑みを浮かべたりする。

それはどこか腹立たしい気もしたが、ザックスの存在が此処にあることを考えると仕方ないか、という気にもなった。しかし、だからこそ気になる。ザックスがいない空間、つまり二人きりの空間であるなら、クラウドはまたあんなふうに淡い笑みを漏らすのだろうか。

何となくそれを観てみたいと―――そう、思った。

自らあのトレーニングルームに行かなくなったというのに都合が良すぎるかもしれないが、そういったクラウドの白々しいとも取れる態度は、セフィロスの心に火をつけてしまったのである。

あの日、初めて気になった存在。

知りたいと思った心。

それを――――――――今度は、手に入れたいと。

何故かそんなふうに強い思いが心を渦巻く。

そしてそれは、セフィロスという人にとってはあまりにも簡単に手に入れられる望みでもあった。

 

 

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