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◆かの鳥は鳴きもせず◆
明日はとうとうアクラムとの決戦―――。
その前夜、頼忠は考えていた。 この三ヵ月、異世界からやってきた小さな神子によって、環境は随分と変化した。 京を救うという点では大きな変化、人間関係に於いてもまた小さいとは言い切れない変化。 とりわけ大きかったのは、自分の感情の変化だったろう。 自分と十近くも歳の離れた少女は、何時の間にか頼忠の心を捉えて放さなくなっていた。 しかし―――。時は進むものだ。 今日までは実感すら無かったが、現実に明日で神子はその役割を終えてしまう。 そうすれば彼女はその望み通り、京から姿を消してしまうだろう。 その後に自分はどうなるのだろうか。 ―――想像がつかない。 何故なら今の自分は…。 「お許し下さい、神子殿」 なぜなら今の自分は京の事より貴女の事を考えている。
光彼方 空遠く 雲に隠れし月の如く かの鳥は鳴きもせず――――。
貴女はきっと、私の事など思いもせずに飛び立ってしまわれるのだろう…。
眠れない―――花梨は困り果てていた。 明日は最後の戦いだというのに。 どうしようも無い状況で…だから頼忠の訪問はある意味救いだったかもしれない。 例えそれが非常識なものだったとしても。
「どうしたんですか、頼忠さん?」 突如現われた頼忠に、花梨は驚いてそう言った。 こんな夜中なのだから、紫にも秘密でここに来たのだろう。 どことなく思い詰めた顔をしている…そう感じたのは間違いでは無かったらしい。 「神子殿…私には考えられないのです」 花梨の顔を見つめながら頼忠はそんな事を言う。 「考えられないって…何が?」 「神子殿がどこかへ行ってしまう事が、です」 その言葉は本来なら間違っていた。花梨にすれば京の方が異世界なのだから、帰るといった方が正しい。 「私は…」 頼忠は尚も言葉を続けた。 「神子殿が京に来てから、私は貴女の為だけに在りました。それは存在理由と同じです。貴女が京からいなくなってしまったら、私は何の為に、誰の為に在れば良いというのです。…分からない。京を救わなければいけないというのに、私は…」 自分の心を吐き出した頼忠に、花梨は正直戸惑った。 元の世界に戻るのはかねてからの願いだった。 京の暮らしはそれなりに刺激があり、確かに楽しいものではあったけれど、いつまでも此処にいる訳にはいかない。それは分かっていた事だったから。 「ごめんなさい。でも…私は京を救って、帰らなきゃいけないんです」 おずおずと花梨はそう言い、チラリと頼忠を見る。 ―――感情が読めない。 「それが本心なのですね?」 冷静にそう答える頼忠は、どこか先程と違っていた。それは本人すら無意識な事だった。
―――貴女の答えが、それならば。
無意識の狂気が頼忠を支配する。 「神子殿、もう一度申し上げます。貴女がいない世界に、私は存在する意味などございません」 「頼忠さん…?」 空気は澱みながら二人の間を流れていた。
『欲しいものは奪えば良いんだよ』 いつか勝真が笑ってそんな事を言っていた。 そんな不粋な事などできるはずがなかろうと頼忠が言い返すと、彼は見下したような目をした。 『お前みたいな堅物は一度壊れでもしなきゃそうできないだろうな』 壊れる。 そんな事は許されない事だった。 忠誠を重んじる者には、それは…。 しかし、今頼忠は思っていた。壊れれば良い、何もかも。
「神子殿」 ふいにそう呟き、頼忠は花梨の頬に触れた。 そのまま優しく撫でると、拒否のできぬように唇を奪う。 「んっ…!」 今迄の頼忠からは考えられない行動に、花梨は驚くしかなかった。 その唇は強く花梨を求め、次第に首筋に以降する。 「や、だっ!やめて!」 思わずそう叫んだ花梨に、頼忠はハッとして体を放した。 「神子殿、私は…」 そう言い訳めいた言葉の先が口を付いて、頼忠は呆然とした。 自分は何を言い訳などしているのだろうか。今し方自分は思っていたはずだ。壊れれば良い、と。 それなのに―――。 頼忠は可笑しくなった。 結局自分は何を守りたいというのか? 「頼忠さん…?」 バツが悪そうに、そして自嘲的な笑いを見せる姿に心配さえして、花梨はそう声をかける。 その声にふと顔を上げた頼忠は、いまだかつて見せた事の無い鋭い視線を投げ付けた。 「あっ…」 花梨はビクリ、とする。 見た事が無い、あんな頼忠の顔は―――。 それは、二人の距離をさらにあける結果になった。
とるべき道は何なのか―――勝真がいうように奪う事すらできず、やはり大事だと思う目前の存在。 守るべきものは何? 忠誠を誓う誠実な自分なのか。 心に巣食う激しいまでの感情なのか。 それとも汚れの無い少女の存在なのか―――。 しかし、頼忠が導きだした答えはあまりにも愚かなものだった。 確かなのは、花梨のいない場所に存在する意義など無いという、ただそれだけだった。 どの道、受け入れては貰えないのだから……だから。
言葉も無く立ち去った後、頼忠は己の耳を傷つけた。 八葉である証―――それさえ無意味なのなら、と。 肌に埋め込まれたそれを抉りだし、掌でそっと包む。 それは大事であり、また憎くもあった。 何故なら『始まり』はそこにあったから―――。
血がボタリと垂れ落ちているのに、頼忠は意に介さないふうにただ思い出していた。 『八葉が揃わないと、私は帰れないんだって』 出会った頃の花梨はそんな事を言って困惑気味の表情を浮かべていた。
「そうです神子殿。八葉が揃わなければ意味が無い」
記憶の中の花梨にそんなふうに答えると、頼忠は静かに目を閉じた。 鮮やかな赤が、次第に彼を包み上げる。
どくどく…どくどく…どうか願いを。 例え狂気でも、縛る術を、この身を贄に。 愛しき人よ、あなたを。
―――帰したりなど、しない。
終 |