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手を離したエアリスは、ふっと呟いた。 「最初は…最初は、私には分からなかった」 何が、と問うクラウドに、エアリスは真っ直ぐな瞳を返す。 「本当のクラウドの事が、分からなかったの」 「本当の…俺?」 クラウドには理解できない言葉だった。エアリスは時々ふいに不思議なことを言う。それは彼女の醸し出す独特なものだと思っていたから、特に気にとめることなど今迄は無かったが、この時は少し気にかかった。 「私はクラウドに謝らなくちゃいけないの」 「謝るって、今度は一体何を?」 「貴方に、違うものを重ねていたから」 「…違うもの?」 エアリスはまた、特有の笑い方をする。しかし、その言葉の全貌は明かされること無く、代わりにこんなことを言う。 「だけどクラウド、忘れないでね。私は貴方の影を、怖いなんて思わない。責めたりなんか、しないよ」 柔らかく言うエアリスは、ふと自分の服の端から何かを取り出した。 それは、金細工の綺麗な装飾を施された、懐中時計だった。 パカリとそれを開けると、その中には時を刻む針があった。 カチカチ、と時を刻み続けている、針。 「見て、クラウド。時は進んでる」 「うん」 「絶対にね、逆には進まないけど―――でもね、ちゃんと未来はやってくるよね」 「うん」 そう言いながらエアリスは、その懐中時計をクラウドに手渡した。 「エアリス?」 驚くクラウドに、ちょっと照れたようにエアリスは言う。 「持ってて欲しいの。―――それはいつか私の…」 そこまでで言葉は途切れた。そのまま俯いてしまったエアリスの表情は、クラウドには分からない。どうして良いか分からないまま、クラウドはその懐中時計に目を落とした。秒針の音が響いている。 「…進んでるでしょ?」 「うん?」 急にエアリスがそう言うので、クラウドは思わず驚いてそんな声を出した。俯いていたはずのエアリスは、少し寂しそうな顔を上げている。 そして、その口は語った。 「今此処で、時が止まったら良いのにな」 不思議とその言葉はクラウドの胸を締め付けた。 永遠という言葉がある。それは、この世には存在しないものを指し示す言葉だと思っていた。実際、そういうものだろう。だが、その言葉を聞いた瞬間、それはまるで実態を伴って降ってきたかのように感じた。 そう感じたのは、瞬間だった。 永遠は、その一瞬の中にあるのかもしれない。 「時間が止まったら…二人きりだな」 「そうだね」 エアリスの心の内を知ってか知らないでか、クラウドはそんなことを言って笑う。 「でもそれは、やっぱり駄目だ」 「何で?」 「だってそうだろう?時間が止まったりなんかしたら、エアリスとだって話せないから」 「ふふ、そうね」 そんなこと言っていつも言葉が少ないのに、と思いながらもエアリスは同意して笑う。 クラウドはきっと、自分の気持ちになど気付いていないのだろう…でも、それで良いのかもしれない。エアリスの心の中では、そんな思いが溢れていた。ずっとその中に重ねてきた人がいたけれど、今はそれも消えてしまった。此処にクラウドを呼び出したのは、本当に懐中時計を渡すためだけだったけれど、心のどこかでは、もっと別の何かを確かめたかったのかもしれない。 それはきっと、「本当の気持ち」だった。 クラウドはクラウドなのだからと、そう思う、本当の「想い」だった。 けれどエアリスは、そのことについては何も言わなかった。 「もう帰ろうか?」 そんな提案をするエアリスに、クラウドは何となく寂しい気持ちになった。だがそれを伝えることはせずに、代わりに「そうだな」という言葉を返した。 地面は、水の恵みをうけて柔らかくなっている。ともすれば足をすくわれそうになるのを何とか避けて、二人は小道への口の前までたどり着いた。 「今日はありがとう、クラウド」 何となく足が止まってしまったその時に、エアリスが小さくそう言った。 「礼なんて良いよ。俺も…此処に来れて良かったと思うから」 何と言葉にして良いか分からず、クラウドはそんなふうに表現する。しかし、目前のエアリスが驚いたような顔をするので、何か変だったのだろうかと焦った。 「ありがとう」 綺麗な微笑みを見せて、エアリスはもう一度同じ言葉を口にした。 それは、本当に綺麗な笑顔だった。 「…エアリス」 瞳に飛び込んできたその笑顔に、クラウドは不思議な感を覚えた。まるで、今にも消えていきそうな気がして怖くなる。本当なら触れてはいけないような、そんな空気を纏っている彼女が、いとも簡単に崩れてしまう小さなもののように思えた。自分が守らなければ…そう感じたのは、この場所のせいなのだろうか。 クラウドは、思わずその華奢な体を腕で引き寄せた。 無抵抗に引き寄せられたエアリスの体が、クラウドの胸の中に包み込まれる。男のそれとは違う細い体は、このまま少し力を加えれば折れてしまうんじゃないかと思うほどで、クラウドは力加減をどうしていいものかと迷った。 「…彼女に怒られちゃうよ?」 エアリスは、やっとのことでそれだけ言った。それはエアリスにとっては信じられない出来事で、でも心のどこかでは期待していた事でもあった。 「ティファは彼女なんかじゃないよ。俺の守りたい人は…」 そう言いながら、クラウドは自分の腕の中にいるエアリスの瞳を覗き込んだ。それは、自分でも不思議な光景だった。 「守りたい人は、目の前にいる」 言葉の後に、二人は驚くほど自然に、唇を重ねた。 その優しさの中で、エアリスは思っていた。 いつか自分には死が訪れる。 それは、クラウドに出会った時からずっと続いている予感だった。 自分は、この人の為に死ぬ。 時間は進んでいるから、時間は止まったりはしないから。 そう思いながら、エアリスは心の中で呟いた。それは、言えなかった言葉の続きだった。
どうか…どうか、私を忘れないで。 その懐中時計はいつか私の… 私の、形見になるはずだから――――。
古の記憶の歌が、響いていた。 その歌は、忘れないで、と歌う。 それを思い返しながら、クラウドは手の中の懐中時計を見詰めた。 『進んでるでしょ?』 そう言っていた人を思い出す。けれどその針はもう、ピクリとも動いていない。時間は止まってしまったのだ、彼女の命と共に。 ふと気になって足を運んだあの場所は、もうこの世のどこにも無かった。入口すら、そこには存在していなかったのだ。 まるで、彼女の存在と、その思い出を封じるかのように。 そうして、彼女の記憶を残すものは悉く崩れていく。 だから、彼女は時間さえ止めたいと思ったのだろう。 だから、彼女は歌っていたのだろう。 古の自然が存在の記憶を望んだように、彼女もまた同じように歌ったのだ。 忘れないで、と。
「忘れないよ、いつまでも」 言葉は、優しく響いた。 今はもういない、 綺麗な微笑みに向けて。
END
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