Hello,dear Hullo,dear

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「はい、兄さん」

「ありがとう」

手渡された袋を手に取りながら、バッツは笑った。

町に唯一のパン屋、そこの名物コロネが二つばかり入った袋である。

日に幾つかしか作らないから必然的にレアものとなるそのパンだが、実のところバッツはこれを毎日しっかり入手していた。いわゆる常連の特権というやつだろうか、売り切れ看板がかかった後でも寄って見るとちゃんと取っておいてくれているのである。

バッツはレアもののコロネを手にしながら店のドアをカランと開けたが、しかし何か思い付いた様にふっと主人を振り返った。

「そうだ。注文って出来るのかな?」

唐突にそう言われた主人は一瞬目をぎょろりとさせたが、言葉の意味を理解するとすぐに、皺だらけの顔をくしゃっとさせて愛敬のある笑顔を見せる。

「はい、注文ね。良いよ、何でも作るよ」

「本当に?」

「ああ」

快い返答にバッツは、思わず笑顔になった。

メニューに無いものを頼もうとしていたから、それを察して「何でも」と言ってくれたのは実に在り難い事である。

じゃあ早速というように、どういったものをどのくらい注文したいのかという事を話す為、バッツは、中途半端に開けていたドアから手を離した。

そしてレジの隣にあるこじんまりとした木製の台にレアものコロネの袋を一旦置くと、店主が広げたオーターシートをまじまじと見詰める。

あらかじめメニューに無いものを頼まれると分かっているからか、どんな形容の物にするかという図面を描くとおぼわしきスペースで手が止まっている。その白いスペースを見ながら、バッツは少し笑ってこう言った。

「船の形をしたパンを、作って欲しいんだ」

「船?」

うん、そう、などと言いながらバッツは、海賊船みたいな奴が良いな、と付け加える。

「ふうん、海賊船みたいなねえ…ふむふむ、なるほど。で、大きさはどの程度かね」

「普通のサイズで良いんだ。だけど量は100程度欲しい」

100?それは大量だね」

そう言っておどけた顔をしだした店主は、そうしながらも白いそこに大まかな船の形を描き出した。

それは漁業などで使われる船の形をしており、台形に少しだけ丸みを帯びたといった感じである。一言で言えば、シンプルと言った所。

その素朴な船の絵を見てバッツは慌てて、

「もう少し豪快な船にして欲しいな」

などと言った。

もっと豪快な――――――そう、海賊船だから。

オーダー品についての相談がそこそこ終わると、店主はバッツに、オーダーの為のサインをするように頭を下げた。既に常連と化している訳だからこういった事は今更のように思われたが、実のところ店主はバッツの名を未だに知らない。

この閑かな土地で彼の店の常連としてやってくるのは世間話好きの母親だったりしたからバッツのような青年というのは珍しく、その為にあまりプライベートに立ち入る話などはしなかったのである。

だから店主にとってみれば、常連であるけれどどういった人なのか分からない、というのがバッツだった。

しかしバッツがサインをしたその時、店主は意外な糸口を見付ける。

「ん?こりゃ…」

書かれた名前は、バッツ・クルーザー…―――――――――。

「もしかしてアンタ…ファリスさんの旦那かい?」

「え?」

驚いたようにそう声を上げたバッツは、思わず手を止め店主の顔を見遣った。

それは単に驚きの動作であったが、店主にとってみれば正にビンゴといった感じである。そう思った瞬間に店主は、ははーん、とにっこり笑う。

「なるほど。あの人の、ね。道理でなあ、ここらに若いモンがいるのは珍しいなあと思ってたんだ。なるほどなるほど…」

「はは…」

いかにも、といった調子の店主に、バッツは困ったふうに笑った。

どこをどうしてファリスが出てきたんだ―――――――そう思わないでもなかったが、少し考えればその理由はすぐに分かった。だって店主は名前を見てピンときたのだ。

しかもこの店の常連と化していたのは何もバッツだけではない、ファリスも同じことなのである。というよりもこの店に出入りするキッカケは他でもないファリスだったのだから、常連としてはファリスの方が上といっても良い。

きっとファリスは店主に名を称していたのだろう。

それは―――――――――少し嬉しい言い方で。

「…思い出の日なんだ。その為の注文なんだよ」

バッツは俯きがちにしてそう言うと、俺はひどいことをしたから、と言葉を続けた。

その意外な言葉と雰囲気に、店主は思わすドキリとしたものである。

幸せそうなふうにしか見えないのに、一体何があったのだろうか、と思わざるを得ない。とはいえ「した」と表現するからにはそれはやはり過去のことなのだろうから、今は心配ないのだろうが。

実際店主が目にする普段の二人は問題なかったし明るい笑顔だって見ることができた。

「へえ…ヒドイ事。あんたはとてもそんな事ができるようなタマには見えないけどね」

「そう?どうかな…ただ俺は、悪い事をしたなって…そう思ってるから」

バッツはそう言いながら顔を上げると、それでも後悔は無いよ、と笑った。

後悔は、無い。

今という結果に後悔は無い。

ただ、今という場所を手に入れる代わりに失った物があったから、それがチクチクと心の隅っこを刺すだけの話―――――――――。

「俺は……」

 

 

 

その家には、吟遊詩人が住んでいた。

そこはかつて自分の生家で、父親がいて母親がいて、自分がいた。

何の変哲もない普通の家だと思っていたそこが、ただの知らぬ家になってしまったのはいつからだったろうか。

旅に出る事を決意し、もう戻る事は無いだろうと覚悟していたその家に訪れたその時、バッツは何となく過去のことを思い返していた。

それは遠い過去のことで今では捨て去ったはずの過去だったけれど、ふいに訪れてしまったこの土地で、さすがにそれを思い出さずにいることは出来ない。

――――――あのオルゴールは、まだあったな……そんなことを思う。

バッツの生家の新しい家主である吟遊詩人は、バッツの家をそのまま使っているらしく、殆どのものが元のままの状態で残されていた。職業が職業なだけに改装する必要性も無かったのだろう。

しかしそれが返ってバッツにちょっとした切なさを与えていた。

 

夜。

そんな感慨に耽りながら家を忍び出たバッツは、村の少し奥まった場所にある墓に出向いた。そこには親の墓がある。思えばもう何年も墓参りというものをしていないから、よほど両親は怒っているだろうなどと思う。

とはいえその親とも円満に別離できたわけではないから、息子の不在に怒るほど穏やかではいられまいが。

「ただいま」

バッツはそう言うと、冷たい墓石をすっと指でなぞった。

それはまるで、いつだか生身の体から抜け出た生命が消え去った時を思い起こさせる。

「大好きな所なのに此処にはあんまり良い思い出は無いよ。なのに…帰ってきちゃったんだな」

一人そう呟きながら目を閉じると、バッツはそっと手を合わせた。

旅に出る直前以来だろう、こんなふうにするのは。

そんなふうに目を閉じている時分、ふと背後から音が聞こえ、バッツはそっとその方向に振り返った。

「どうしたんだ?」

そこには―――――――――…。

「……ファリス」

そこには、ファリスの姿があった。

ファリスはもう一度「どうしたんだ」というふうに聞くと、バッツを飛び越えたその先に目を遣る。勿論その先にあるのは墓石で、その墓石には、それがバッツの両親のものであるという証にその名が掘り刻まれていた。

それを目にして察したらしいファリスは急に目を伏せがちにすると、すっとバッツの隣に寄って来る。

「……昔からの癖で、音がすると起きちまうんだよ。…だから今日も」

「ああ。起こしてゴメン」

「いや…」

しんと静まる中で、自然の息遣いだけが静かに響く。

虫の泣き声、緩やかな雲の流動、ただ鎮座する月。

その中で同じ方向、同じ一点を見詰めている。

こうして此処に二人でいる事の大元はバッツにあるわけだが、ファリスはそれについて何も聞きはしなかった。

何故夜中に此処に来たのか…それはこの墓石で大体の察しがつくものの、それを敢えて口に出して聞こうとは思わなかったのである。

がしかし、それは自然にバッツの口から語られた。

「両親の墓なんだ。何年振りだろう、此処に来たのは。……帰ってくるつもりは無かった」

「……」

「俺はこの村に帰るべき人間だけど、帰る意味なんか無かった。待ってる人もいない、守る物も無い――――――俺はあの日から独りだったし誰かと一緒に居たいとも思わなかった」

バッツがあの日と表現するのは、両親を亡くした日か、若しくはこの村を捨てた日かそのどちらかだろう。

とにかくそんなふうに特定の何かや何者かに執着しない生き方は、今の……というより出会う前のバッツを、顕著に物語っている。

「それでも……何でだろう、何だか来て良かったって気もしてる。ほら、終局もどうなるか分からないから」

「あほ、んな事言うな」

それは口に出さずとも常に背中合わせに持ち合わせている危機。

いつ何時、どのような状況になるか分からない。

誰かが死ぬかもしれない、自分が死ぬかもしれない。

この世界の平和の犠牲になるのは自分かもしれない。

しかしだからといって今更引き返すことは出来ないし、そうしようとも思わない。

それは一度賭した人生だから。

「ねえファリス」

暫し沈黙があった中、突然バッツは声音を変えてそんなふうに呼びかけた。

その呼びかけの後に続いた内容は、ファリスにとって少し意外な話題である。

「子供の頃、泣いたことあるだろ?」

「んあ?…ああ、まあ。でも覚えてないな。それに俺は、泣くなんて情けない事だと思ってたから」

考えながらそう回答したファリスにバッツは、うん、と一つ頷いて同意を返す。俺もそうだった、と添えながら。

「俺もそう思ってた。辛い事とか苦しい事とかあっても、ぐっと堪えるのが当然だって思ってた。だから……」

―――――だからあの日も、独りきりになった日も、村を捨てることを選んだ日も、泣く事はしなかった。辛くて苦しくて胸の奥がじんじん痛んでも、ただそれが治まるのをじっと待っていた。

しかしそれは感情の押し込みでしかなく、押し込まれた感情はやがて鉛の固まりのようになってしまった。

表面上は笑えても、深く染み込む感情はその鉛を溶かしもせずに、ただ同化する。

だから今は滅多なことでは深い感慨も覚えなくなってしまった気がする。

かつて、些細なことにさえ感じていたものが今では何も、無い。

「だけどちょっと考えてみた、此処に戻ってきて。もし過去のあの時に、悲しいといって素直に悲しいと叫んでいたら――――俺は今此処でさえ笑顔でいられたのかもしれないんだ、って。自分に嘘をつくと、誰しもに嘘をつくことになる」

同じ楽しさを同じ大きさで感じ取ること、同じ悲しみを同じ大きさで感じ取ること。

それは、鉛の固まりでは出来ぬ事だから。

「ちょっと後悔してる。今迄の生き方じゃなくて、あの時の一瞬の事に。まあ…今更遅いことだけどな」

バッツはそこまで言うとにっこりと笑った。

それはとても嘘の笑顔には見えなかったが、今さっきまでの会話からすると何だか切ない笑顔のように感じられる。

しかしそれ一つを疑えば、今までの全てを疑わねばならず、それはどう考えてもファリスの意図するところではなかった。だから。

「後悔なんて。今更したって仕方ない、時間は戻らないし死んだヤツは生き返りなんてしない」

「うん、そうだな」

「でも……挽回だって、出来ない訳じゃないだろ」

「え?」

思いがけない言葉を耳にして振り返ったバッツの視界には、言葉を選ぶように悩むファリスの表情があった。

ファリスは今し方口にした言葉の続きを探しているようである。

そんな姿を隣でみつめていたバッツは、ようやく何かを決意したようにこちらを向いたファリスを真面目に見据えた。

「後悔してるなら、今からその後悔を無くせば良いだろ。だから、その…」

「……」

二人の目の前には静な墓石があり、それはただそこに佇んでいる。

その墓石の見守る中、ファリスの声はすっと響いた。

「あのさ―――――――約束、しないか?」

 

 

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