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「私が彼から仕事の話を受けたのは、彼がそれを望んでいたからだ。彼は仕事を起こすと言って旧知の仲である私に呼び掛けた。それを私が蹴ってしまったら、彼はあるいはあの仕事をしなかったかもしれない。彼の夢の為に私が必要であるなら、私は……私を費やしても良かった」 彼、と表現されたその男はリーブを選んだ。数かる友人の仲からリーブを。 「彼が私を選んでくれたのもまた、何かの縁だろうから」 その縁とやらを具体的にどう解釈しているかなどは一切口にせず、リーブはただその言葉のみをツォンに与えた。 しかし。 「それを言うなら、俺も同じじゃないですか?だってリーブさんは俺を選んでくれたんでしょう、数ある就職希望者の中から俺を」 「それとこれとは縁の種が違うだろう?」 「違いませんよ」 幾分か強くそう言ったツォンの目には、何かどよめいたものが光っている。 リーブの柔らかい態度とは裏腹に鋭利な刃を思わせるこのツォンの態度は勿論この場にそぐうものではなかったが、別段ツォンという人間に元々備わっていたものでもなかった。だからツォンがリーブに対してそういった態度を表すのは、それは相手がリーブであるからに他ならない。とはいえリーブそのものをツォンが嫌悪しているという事実は無く、それはある条件下でこそ起こる、いわば現象のようなものだった。 「たまにこうして話をする機会があるかと思えば…。XXX、お前は妙な事を言うな」 たびたびこの現象を受けていたリーブはそう言って困ったように笑う。 「すみません」 「…いや」 そもそもこの時間はツォンからの誘いをリーブが承諾して出来上がったものであり、特にこれといった話題を想定した上で成り立ったものではない。 だからどのような会話が起ころうとそれを否定するのは少し気がひける事ではあったが、リーブの心持ちとして、かの男の話題だけはあまりにしっくり来なかった。 というより―――――本音を言えば、口にしたくないのである。 それはあの男の死という現実への感慨による拒否ではない。そうではなく、“あの男のことを考えている自分”というものへの拒否、だった。 それは本来誰にも悟られる筈が無かったリーブの生身の感情だったが、ツォンはそれをどことなく感じとっていたのである。 「リーブさん。あの男のことが、好きでしたか?」 「――――え…?」 冷め切った珈琲の水面に、波立ったツォンの顔が映る。 それは嬉しいとも悲しいともつかぬ無表情に近い顔だったが、何かしらの感情は携えていることが分かる。 しかしそれが何であるかリーブには分からなかった。 「好きでしたか?」 「…ああ」 もう一度そう問われ、リーブはやっとそれだけを口にする。 「どのくらい、好きでした?」 「…さあ」 「そうですか」 そこまで言って、ツォンはすいと笑った。それは年相応の笑いでは無い。 しかしリーブはそれを瞳に移すことはしなかった。 何故ならリーブの心には既にツォンの言葉が蔓延しており、それがリーブを内的な世界へと誘っていたからである。 どのくらい好きだったか―――――その言葉が。
リーブ、一緒に仕事をしてみないか。 ボロ儲けとはいかないまでも失業は無いだろう、そんなことを言いながら男は笑っていた。 それは実に良い話である。 友人という立場、それによる優遇、これといってデメリットは見当たらない。 しかしリーブはすぐに二つ返事はしなかった。 何故なら―――――――リーブの求めていたものは“生”を司る仕事であったから。 何かの製造だとか生産、そういう何かしらを生むものを求めていたリーブにとって、その男の誘う仕事は正反対の「死」を掘り下げるものでしかない。 いや、死そのものである。 だからこそリーブは迷っていた。 しかしそれでも結果的にリーブがそれを受け入れたのは、そういった高い志を持っていても尚、損得勘定で動く人間であるというその証拠であったろう。 やがてそれを承諾したリーブは、男の提案する“死そのもの”と取れるビジネスへと埋もれていった。 連立する塔形煙突。 もくもくと上がる煙。 嫌な匂い。 その充満した悪臭すら何でもなくなった頃、リーブの環境は一つの変化を見せた。 それが、あの男の真意か、若しくはそれに準ずるものであるとリーブは心のどこかで判断しており、それはやがてかの男とリーブの間に見えない壁を築き上げた。 しかしその壁が見えていたのは大方リーブだけだったろう。何しろかの男はリーブが眉を顰めるのすら気付いていなかったのだから。 男は言った。 リーブの手をとって。 ――――――――お前には感謝してるんだ。一緒にここまでやってくれた。 ――――――――なに、墓は此処さ。勿論お前も、な。 ――――――――俺はお前とずっと一緒に…。 此処は郊外の、人に忘れ去られたような場所。 これは……隔離? 誰の目にも止まらぬそこで例え倫理に反する行為に及ぼうと、それを咎める者などいないだろう。 そこにあるのは、二人の存在と、仕事と、未来の墓。 ――――――――なあ、リーブ。いつまでもこうしていよう。 ぞっ、とした。 望みもしない仕事を受けたが最後、それは仕事だからと口実を作り、その男はリーブを手にしたのだ。 その瞬間に覚えたのは危機だった。 それは身体的な貞操だとか、社会的倫理への違反だとかそういう事ではない。 本当に描いていた未来というものがこの場所にいることによって、そしてこの男の傍にいることによって、墓場と化す事が恐いとそう思っただけ。 男は燃費の良いその仕事をグラフ化してリーブに提示したものだが、そのグラフが右肩上がりになればなるほど横に分断されたその下層部がどす黒く変色するように思われた。 それはいわば墓場の色である。 この男と共にいればいるほど、X軸は長くなる。 それが長くなればなるほど下層部の黒は増える。 墓場たる未来は広がり確実性を増す。 何かを作り出すのではなく、何かを破壊していく未来へ。 ―――――――ああ、逃げなければ。此処から。 思ったのは、それだけだった。 彼への好き嫌いではなく己の未来の為の、それは選択だったのである。 リーブがその選択肢の中から選んだのはある一つの緩和法だった。破壊していく未来を示す下層部の黒は、二人だけでいるからこそ一人当たりが背負う面積を肥大させてしまうのだ。だとしたら緩和、つまり黒を受ける人間を増やせば良い。そうすれば次第に伸びていくX座標に比例して増える黒を、自分が背負う割合は少なくなる。 黒々と増え行く未来の犠牲者を増やせるなら―――――その思いは、リーブにある提案をさせるに至らしめた。 “人を、増やそう” この緩和法は事実、二人だけの濃厚な時間すらも薄らげた。 つまり観念だけでなく実際の感覚としてもそれはリーブを安心させることとなったのである。 しかしその反面、かの男はつまらなそうだった。 新しくやってきた若い人員を背にリーブを掠め見ては、つまらなそうな顔をした。 けれどリーブはそれを見て見ぬ振りをしてやり過ごし、そうする間にやがて、黒はグレーをも過ぎ去り白を露にしたのである。 X座標軸の下層部。それが白に変わったのは、あの男が死んだことを知ったその時だった。 今まで蓄積蔓延していた黒は、かの男の消失と共にすっかり何もなかったかのように白になったのである。 しかしその建物と仕事と若い人員を残されたリーブは事実後任になったのだから、それは仕事の継続という意味では黒を残していただろう。ただしリーブはあの男がいなくなったことで、そこにいなくてはならないという束縛を失っていた。いつそこから姿を消したとしても、権利をもって彼を咎めることができる者はもういないのだから。 それはリーブに、元来希望していた“未来”を垣間見せた。 ―――――――が、しかし。 しかしそれを塞き止めるかのように、あの男に似た粘質の言葉を吐く人物がいた。 それは……。
「XXX、お前は何故そんな事を聞くんだ」 回想から我に帰ったリーブは、目前で依然笑いもしない冷静な表情にそう問い掛けた。 ツォンがそんなことを聞くのは何かしら理由があっての事だろうが、しかしリーブにはその意図が良く掴めない。 そもそもこの二人の関係上そういう会話をする必要性などは無きに等しかったのだから。 ツォンはリーブを真っ直ぐ見て、こう言った。 「リーブさんは、狡い人だ」 そのゆっくりながらも確実な口調、そして言葉は、リーブを驚かせる。 他人を優先するという公平を見せてきたリーブにとってそれは、決して吐かれようはずのない言葉だったし、大体何をもってして狡いなどと言うのか。 「狡い?私が?」 「そうです。だってリーブさん、いつだって直球勝負しないじゃないですか。本当はあの男の事だって…」 「…え?」 「――――――いえ。何でもありません」 ツォンはそれきり黙り込んだ。 そうしたツォンの首筋には、つうと一筋、汗が滴っていた。
不意打ちを喰らったように目に入った煙に、不本意ながら一筋の涙が流れる。 その涙で視界が霞んだツォンは、その視界のまま先ほど脇に追いやった紙を眺めた。当然のことながら、先ほどまでハッキリしていた座標軸が霞みぼやける。 滲んだ軸は、まるで境界を無くしてしまうかのようだった。 しかし、その境界を完璧に無くすわけにはいかない。 何故なら、そうしていたその時にガラリと音が鳴り、その部屋のドアが開いたからである。 誰かがやってきたことで涙を拭かなければならなくなったツォンはすぐさまそれを実行し、そして元に戻った顔で背後を振り返った。 そこには、ある男がいる。 それは、もうずっとずっとずっと昔から見てきた――――――あの、“好青年”。 「部長」 役職だけでそう呼んだツォンは、そうした後にすっと笑った。 その笑みに対して自然と笑顔を返したのは、神羅カンパニー都市開発部門の統括部長であるリーブである。 「待たせてすまないな」 「いいえ」 簡潔に詫びなどを済ませたリーブは、今やガランと空いているツォンの隣の席に腰を下ろした。そこは本来タークスのレノの席であったが、彼はもうとっくに退勤している。 リーブは一息をつくと、改めてツォンを見遣った。それからデスクの上に放られている紙に注視すると、 「会社というものはグラフが好きらしいな」 そんなことを言う。それは爽やかそうな表情に反して皮肉にも取れる言葉で、ツォンは思わずその言葉に笑みを漏らしたものである。しかしその笑みも勿論、皮肉に違いなかったが。 「私の立場でこれを言うのは極めて問題だろうが…こういったグラフが嫌いなんだ」 「そうですか。奇遇ですね、私もそうなんですよ」 「ツォンもか」 それは安心した、などと言ってリーブは笑う。しかしツォンは、今度は笑顔を返すことができなかった。 安心など、出来よう筈も無い。 同じ空間に二人でいることに対して、安心などして欲しくもない。 心中そうして暗いものを渦巻かせたツォンは、暫く黙っていたが、それでもリーブがグラフから目を離した頃にはこんな事を口にしていた。 「――――――早く用件を、済ませましょう」 その一言に動きを止め表情を真面目なものに戻したリーブは、やがてすっと立ち上がると、ゆっくりとツォンの肩に手をかけた。 あまりにも簡単な、用件。 こうしてリーブが此処にやってくるのはもう何度目のことだろうか。 数え切れない。 数え切れないほど多くの時間、そうしてきた。 そして今日もまた―――――――繰り返す。 ただ、繰り返す。
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