「ヴァイス、お前は知ってるか。それとも人間だった頃のことなんて忘れてしまったかな。バカと天才は紙一重だというが、愛憎というのは表裏一体なもんだ。最初はつかえない餓鬼が来たもんだと思ったが、なかなか使えそうじゃないか。お前も一枚かんでいるんだしな」
「研究者と俺を一緒にするな」
「厭か?まあ良い。だが"騙している"ことには変わりない」
「…違う」
 ヴァイスは静かながら力を込めてそういうと、目前の研究者を睨んだ。
 男はそれを見て一瞬真顔に戻ったものだが直ぐに先ほどの厭な笑いを浮かび上がらせると、
「自己愛と言うんだよ、そういうのを」
 そんなふうに言う。
「自分だけは違うとでも思っているのか?ふん、大したもんだ。まあネロはそう思っているだろうな、お前だけは違うと。だが、そうじゃない。お前は"知っている"じゃないか」
「……」
 無言でいるヴァイスに、男はわざとらしく「どうした?」などと言って笑った。厭な笑い。あまりにも憎い笑い。
 しかしそれでも反論できないのは、それが事実だからなのかもしれない。
 もし本当に"知らなかった"ら、多分今此処で怒りに任せて力を振るっていたことだろう。だけれどそれは出来ないのだ、知っているのだから。
「ネロが闇の能力を与えられた理由は、お前も知っているんだろう?そしてお前は事実、その能力の最大化に貢献しているんだ」
 確かお前はネロの兄だったな、そう問うた男は、ヴァイスの姿をなめるようにして眺めると、最後に、どこが似ているんだ?、と不思議そうな顔をした。勿論その表情もわざとである。
 いかにも嫌味であったそれに、ヴァイスは答える言葉も浮かばなかった。
 
 
 
 
 
 もうどのくらい前のことだったか―――――――――
 とにかく何度も何度も朝と夜が巡るその前に、ネロは闇の能力を与えられた。
 それは特殊技能を埋め込むという実験の中の一つで、その被験者に選ばれた者は全体のごく僅かである。
 その中に幸か不幸かエントリーすることになってしまったネロやヴァイスは、その実験の目的通りに"特殊技能"をその体に埋め込まれ、今ではその特殊技能の拡張実験をさせられていた。
 このディープグラウンドのそもそもの存在意義は、"人間はどこまで強くなれるか"という実験にあるのだという。これは、いつだったかポロリと研究者が漏らした言葉だから本当のことだろう。
 ――――――"人間はどこまで強くなれるか"?
 この実験の為にディープグラウンドに連れてこられた人間は数知れず、中には実験に耐えられず己が命を絶った者もいるし実験に体が耐えられずに息絶えた者もいる。あまりに酷い有様、そうとしか言い様がない。
 そのような初期段階の実験に耐えることができ、更に、見込みがあると判断された幾人かが特殊技能の埋め込み実験の被験者としてピックアップされたわけだが、それは全てが全てデータに基づいたものというわけではなかった。
 確実に最終段階の実験までも耐えうると数値的に判断された者であっても、特殊技能は与えないとする場合がある。逆に、最終段階の実験まで耐えられるか否かは数値的根拠が取れないものの、特殊能力を与えられる場合もある。
 ネロは、その後者だった。
 初期段階の実験はクリアしていたものの、体力的には不安が残る。そのような状態だったネロがそれでも特殊能力の埋め込み実験の被験者になったことにはある理由が存在しており、それは数値的には絶対に測れない"彼の性格"だった。
 
 
 
「痛い…苦しい…辛い…何度も何度もそう思った。でも、それはボクじゃなければ感じられなかった事なんだと思うんだ。他の誰かじゃ、きっとこんなふうには感じなかった。痛いとか、苦しいとか、辛いとか。もし全ての人がそれを感じられる資質を持っていたとしたら、この世界には傷つく人なんて誰一人いないよ。そう、誰一人として…ね」
 
 
 
 
 
「研究は成功ですよね」
「そりゃあね。生きている時点で成功だろうよ」
「そう。良かった」
 研究室、その一室で繰り広げられていた会話はとても静かだった。
 いつものように研究材料としてその場にいたネロは、しかし体中を押さえつけられ目を閉じて眠っている。立ち尽くしたまま雁字搦めにされたような感じ、それがネロの研究では当然のスタイルだった。
 ネロ専用に宛てられたその研究室はとても暗く、機械に取り付けられたボタンの一部だけが不気味に光っている。ぼんやりとした僅かな光の下、二人の研究者は重い眼差しで部屋の中央に雁字搦めになっているネロを見つめていた。
 鎖に巻かれ、静かに眠る闇の使者。
「しかし副作用は免れられなかったみたいだな。頭痛が酷い。未だに続いていてね、悪化しているようだ。その上この闇って能力は特殊でね、ほら、君も知ってるだろう。何故ネロが闇に選定されたか」
「ああ…確か、資質の問題だとか」
「そうそう、資質さ。その資質からすれば、物理的副作用だけじゃなく根本的に心に痛みを伴うからな。ストレス数値も高い。でもまあ、資質があるからこそその痛みに耐えうるんだし、成長していけるんだがね」
 そこまで言った研究者の一人は、しかしな、と少しして声音を変えた。
「ネロの研究をしていると時折心苦しくなるよ。何ていうのかね…闇にあてられる。こっちまで辛いものを思い出してしまうし、この研究自体とてつもなく…――――」
「…己の悪意の結集と感じますか」
「そう。時折な」
 ディープグラウンドの研究はそもそも人為を逸している研究なのだから、今更そんなふうに肩を落とす必要は無い。がしかし、それでもこのネロの実験に於いては別個の罪悪感めいたものを覚えざるを得ない。何故ならばそれは、人間の心と最も密接に関係しているものだったから。
 ネロの作り出す闇は、普段忘れかけているそういう罪悪感めいたものを浮き彫りにさせる。だからこそ時折、心苦しくなるのだ。
 それに、この実験には――――――――――…。
「…しかし因果なものですね。元はといえば純白の研究だったはずなのに」
「そうだな」
 頷く研究者に、もう一方の研究者が少し悲しそうに笑った。そして、ネロを見つめながら言う。もしかすると彼もまた、ネロの闇に当てられていたのかもしれない。
「ヴァイスとネロ、純白と闇―――――…闇は純白がなければ生きられず、純白もまた闇に当てられた。グレーになった純白、不完全な闇…まるで我々の研究の経緯そのものですね」
 彼のその言葉に、答える声は無かった。
 
 
 
 
 
 大丈夫か、その声でやっと目が覚めた。
 気付くとそこにはヴァイスの姿があり、ヴァイスはいつもと同じ表情でネロを見下ろしていた。此処はどこかということを確認するとどうやら自分のベットの上だったらしく、そこが研究所ではないことが分かる。
 ということはヴァイスはわざわざ此処に出向いてくれたという事だ。
「…兄さん」
 ゆっくりとそう呟いてゆっくりと手を伸ばすと、ヴァイスはネロのその手をそっと握りこんでくる。まるで病人と看病人のような構図で、二人は暫しその時間を過ごす。
 その時間が終わったのは、ヴァイスのある言葉がキッカケだった。
「――――――話しておきたい事が、ある…」
 そっと響いたその言葉に、ネロは特別なリアクションなど見せない。それどころか、最初からそんなものは分かっているとでもいうようにその表情は緩やかである。それは、少々心苦しそうな表情をしているヴァイスとは対照的だった。
「ネロ、俺たちは…」
「兄さん」
 押し出すような声音で何事かを口にしようとしたヴァイスのそれは、即座に遮られる。
 いつもよりも少し強いネロの声。
 まるで粛清するみたいに。
 その様子が明らかにいつもと違うことで、ヴァイスは不審そうな顔をネロに向ける。いつもだったらばネロはこんなふうに強い声など出さないし、言葉を遮るようなこともしない。
 しかし、今日は違っていた。
「兄さん、もう良いよ。ボクは、兄さんを悲しませたくはない」
「…そういう問題じゃない。聞いてくれ、ネロ。俺は――――」
「嫌だよ、聞きたくない!」
 握り合っていた手に、急激な圧力。
 突如として引っ張られた手に、ヴァイスは驚く。
「ネ…っつ」
 その声を上げた次の瞬間、既に唇は塞がれていた。
 じっとりとした感触に思わずヴァイスは目を見開く、そしてその瞳にネロを映す。そこに映し出されたネロはまるで安堵したような安らかな表情をしており、今さっきの感情の高ぶりから既に変化していた。
 情緒不安定、そんなふうに見える。
 いや、実際その中にいることは承知しているのだが。
「――――――兄さん…」
 そっと離れた唇から、吐息混じりにそう声が漏れる。
 黄金色をした瞳が、ヴァイスをじっと捉えていた。
 それは、合図。
 いつからか抱き合うようになった体は、その合図を的確に捉えている。視線も吐息も合図の一つで、それを感じれば抱き合うのが普通になっていた。
 好きだからという気持ちだけが二人をそうさせるのではなくそこには他の感情も絡んでいたが、今までそれを口に出した事は一度としてない。だからそれはお互いに伝達されることはなかった。
 ただ、体を重ねあう事だけが何がしかの伝達のように思えた。
 例えば心の内に秘めた悲しみ、その感情の伝達。
 その悲しみの感情は熱い吐息と体液と複雑に絡み合って溶けていく。心からは決して消えはしないそれが、そうして外に放出される。まるで体内の毒素を一時的にでも排出するかのように。
「んっ…っ」
 急ぐでもなく衣類を脱ぎ捨てて素肌をぴったりとくっつけあうと、二人は再度唇を重ね合わせた。目を閉じ、舌を絡め合う。
 そうする間お互いの手はお互いの性器に触れていた。絡めあう舌でそこそこの興奮を得ていたそこを更に奮わせるように扱き上げる。
 段々と硬くなっていく性器の感触に、沸き立つような興奮。
「もう…大丈夫だよね?」
 十分に反り勃ったヴァイスのそれから手を離し、ネロはベッドから上体を上げた。そうしてヴィイスに向かい合うように体勢を変えると、そのまま滑り落ちるように上体を下ろす。
 入り込む異物感。
 それを感じながらネロは顔を歪めた。
 今や眼前にあるヴァイスの顔は特別変化無かったが、それを見つめる自分の表情は快楽に歪んでいる。
「あっ、あ…ああっ」
 自ら揺り動かした腰から伝わってくる感覚は、ネロの理性を麻痺させた。体の奥の方に入り込む感覚に何ともいえず興奮する。
「あ、あっ…に…さ、ん…触っ…て…っ!」
「ネロ…」
 胸の突起に誘導したヴァイスの指。
 その指がそのままにそこを弄っていく。
 ここまできてようやく自ら動き出したヴァイスに、ネロは心の中で安堵しながらも、快楽の淵に落ちていった。
 
 
 
 

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