理想の王国 ここは、悪意に満ちた言葉で溢れている。 ここは、悪意に満ちた視線で溢れている。 「ボクがこの能力を得たのは、きっとボクがそれを顕著に感じていたからだと思うんだ。そうじゃなければ、ボクは今もこの闇に耐えられなかったと思う。人の悪意に満ちた言葉・感情…そんなものばかりが、ボクの中に蓄積されていく。ボクはそれを感じ取り、そして、その都度心が抉られそうになりながら耐えてるんだ。大丈夫、この闇から救い出して欲しいなんて思ってない。ただ、出来る事なら…」 悪意を止めて欲しいんだ。 もう誰も―――――――――傷つかないように。 人前に出ることはあまり得意ではなかった。 例えば見ず知らずの子供とすぐに打ち解けることは得意ではなかったし、輪の中の入ろうとしても自らはそんなふうにできなかった。いわば人見知りというやつだが、多分そういう性質はその言葉だけでは済まないほど重度だったのである。 "一緒に遊びたいの?" 近くで遊んでいた数人の子供達を影からこっそり覗いていたネロは、そう呼びかけられて相当に驚いた。驚いたけれど、それを顔に出すのは得意ではなく、多分相手の子供達にとっては何のリアクションもないように見えたことだろう。 それがいけなかったのか、数人の子供たちはネロのことを迷惑そうに見やった。 遊びたいの?―――――そんなの、遊びたいに決まってる。 そうじゃなきゃ影からこっそり覗いたりなんかしないし、独りきりでいるはずがない。しかし「遊びたいの?」と問われて「うん」と言えるほどの度胸などネロには無かった。だって、もしそう頷いて「俺たちは嫌だ」なんて言われたらとてもショックだから。 身勝手だけれど、誘ってくれれば良いのにな、とそう思った。 遊びたいの?、ではなく、遊ぼうよ、と言って欲しかった。 だけれど子供たちはそんなことを考えるはずもなく、ただノーリアクションに見えるネロを見やって「何だよ」と嫌そうな顔をすると、最後には気味が悪いからどっかに行けよ、とそう言った。影からこっそりと覗かれているのは気味が悪かったのだろう。 "気味悪いよ、おまえ" 違うんだ、本当は一緒に遊びたいんだ、そう言いたかったけれど、既に気味が悪いなどと言われている中でそんなふうに言ったら、馬鹿にされるに決まっている。それが怖くて、やはりネロはその気持ちを表現できない。 そうしてやがて子供たちは、ネロを無視するようになった。 そこに存在を確認していながらも故意に無視することは、何にも勝る殺傷方法に違いなかった。 それは、ネロにとって初めて感じた"悪意"。 悪意に満ちた視線と、悪意に満ちた言葉。 どういうふうに言えば目前の人間が傷つくか、それを無意識下に熟知している人間という生き物にとっては、故意に人を傷つけることなどいとも簡単なことである。故意に人を傷つけることは同時に無意識に自身を守ることだ。誰かを攻撃することで、自身の正当性を主張する。それが集団になれば効果は倍になり、そして意味も少々変わってくる。 自分は守られている、 自分は外れていない、 自分は正しい。 優位性に彩られた悪意は、標的に向かって酷く残酷な刃と化す。 それを受けた心臓がどれほどの血を流すかも、知らずに。 そう―――――――――血は、流れきってしまったのかもしれない。 あまりにどろどろと流れすぎて、もう無くなってしまったのかも。 だけれどそれも、今となっては好都合なのだろう。 だってもう今は、人ではなくなった。 人でない体に、血など必要ない。悪意を体中に送り出す血などは。 「また頭痛か?」 そう問われたことにネロは取り敢えず苦笑した。本当は普通に笑いたかったがそれが出来なかったから、せめてもの苦笑。 その苦笑は当然、ヴァイスの言葉を肯定していた。 「お前の頭痛は毎日酷くなるんだな。例の…あれか」 「そう…多分ね」 そう答えながら、ネロは与えられた自室のベットにゆっくりと腰を下げる。 敬愛する兄のヴァイスが、折角この家とも呼べぬ空間に来てくれたというのに、こんな姿を晒さねばならないなんて酷く無様だと思う。本当であればもっとじっくりと話をし、普通に笑いたかった。しかしこの頭痛が起こるとそれどころではなく、酷く苦しくなる。まるで頭を引き裂かれるかのように。 もう眠った方が良い、そう呟いたヴァイスの手によって結局横になったネロは、ベットに沈みながらヴァイスを見上げた。 白銀の髪を持ち、頑丈な肉体を持つヴァイス。 ネロにとっては、敬愛すべき兄。 「ごめん、兄さん」 「?何を謝る?」 「ボクがこんな人間だから…弱いから、頭痛が起こるんだ」 そう言う間にもまたズキンという大きな痛みが響き、ネロは顔を歪めた。それを見てヴァイスはネロの両目の上に手のひらをやると、そんなことはない、と小さく呟く。 「どうにかなる。研究は続いているんだからな」 こんな頭痛が起こるようになったのは、この神羅という会社で研究材料にされてからのことである。その研究によってネロだけではなく数多くの人間が犠牲になり今や人にあらざる者と成り果てた。それは目前のヴァイスも同じことで、彼もやはり彼特有の能力を有している。但しそれは、神羅が彼に与えた能力…研究によって改造された体だからこそのものだったが。 皮肉だ、そう思う。 今ヴァイスが言ったように研究が更に進めば、この頭痛もきっと良くなるのだろう。勿論それは人体の改造という恐ろしい所業によるものだったが、それでもいまや自分はそれに頼らざるを得ない状況になっている。 それこそが皮肉なのだ。 だって、神羅と関わるようになったのは決して自分の意思などではなかった。そうではなく、こうして研究材料になっていることだって本当は許せないことなのに、それでも今はその許せないはずの事に頼っている。 研究が続いているからいつか治るなんて―――――――皮肉すぎる、本当は。 「今は眠ると良い。明日もまた大変だろうからな」 「うん、ありがとう」 ヴァイスの言葉に頷いたネロは、それと同時に離れそうになったヴァイスの手を瞬時に掴むと、その手を再度自分の方へと引き寄せた。 そして、そこに静かなキスをする。 「兄さんがいるなら頑張るよ」 目を閉じ、ネロはそっとそう言う。 その様子をヴァイスは無言で見詰めていた。…ゆっくりと手を離しながら。 ネロの元を去ったヴァイスは、あらかじめ召集を受けていたこともあって、与えられた部屋には帰らずに神羅の研究室に向かっていた。研究室とはいっても、そこはディープグランドと呼ばれる特殊な場所にある研究室である。 このディープグラウンドはいわば地下都市のようになっており、まるで大陸の一部をまるまる再現したかのようなつくりになっていた。その為、各自が家のようなものを与えられており、研究に使われる場所はそれとは別個に立っているという具合。 しかしそれほど広大な場所であってもそこには出口はなく、ここに連れてこられた研究材料はディープグラウンドを出て行くことができない。出口は恐らくその研究所にあるのだろうがそれを発見したものはいないし、そもそも監視が複雑で研究所内をうろつくこともできない。だから、これは大きな牢屋のようなものだ。 研究室に着いたヴィイスは、いつも自分が研究を施されているエリアに入り込むと、自分を招集した馴染みの研究者の姿をそこに確認した。割と若めの、いかにも科学者然とした男である。 男は、ヴァイスが来たことに気づくと、笑うでもなく「そこに」と無機質な椅子を指差す。どうやらそこに座れということらしい。 何か作業をしていたらしいその男がヴァイスに向き直ったのは、それから10分ほど経った後のことだった。 「調子はどうかね。昨日注入した薬品の効能が気になっていてね」 男はイスに腰掛けたままのヴァイスの腕を取り、その腕に何かチューブのようなものを取り付けた。壁に面して置かれているやけに硬質そうな機械から繋がっているそのチューブは、平生ヴァイスが研究をされている時に取り付けられているものだ。どういう効果のものかは知らないが、毎日これだけは欠かさずに取り付けられることを考えると、研究で崩れた組織を保つものなのかもしれない。 「別に問題は無い」 「そうか、それは良かった。あれは一か八かのシロモノでね。悪くすると今日にはお前の体は単なる肉片になるところだったからな」 「……」 生きていて良かったよ、そう言う研究者は、仮にヴァイスが死んだとしてもどうでも良さそうなふうだった。いや、実際どうでも良いのだろうが。 「まあ気を悪くするな。これでもお前は優遇されてるんだ。普通の研究材料はお前のように放置はできないからな。無論、こうして無駄話をできるのもお前だけの特権だ」 クク、と笑ってそう言った男は、時折壁際の機械をチェックしながらも、紙に何かを書き込んでいる。 しかしそれもすぐに終わってしまうと、ふっと、今までとは少し違う何か意味深な顔つきでヴァイスを見やった。それはあまりにも不穏な調子で、ヴァイスは瞬時に眉をしかめたりする。 そんな不穏な調子の男が口にしたのは、ヴァイスの研究についてではなかった。 だがしかし、ヴァイスにとっては意外なものでもなかった。 「あのネロとかいうやつは…どんな調子だ」 ―――――――――やはり。 そう思いながらもヴァイスは、問題は無い、と同じ言葉を繰り返す。すると男は、やはりククと低い声で笑いを響かせた。 人体改造などという酷い仕事をしていることもそうだが、そもそもこの男はどこか厭なものを持っているとヴァイスは思う。馬鹿にしたようなこの笑いは、いつも耳障りでならない。ただでさえそう思うのに、ことネロの話題になるとそれが倍増し憎しみが沸かないでもない。 尤も、その憎しみをそのまま表現することは可能だし、それをすれば確実にヴァイスの勝利だということはわかっていた。が、それをするのに今は相応しくない。 |