好きという感情が分からなくなるとき…その原因と脱出法について

最近「BLUE ENCOUNT」というバンドさんにハマっています。本当に重度のリピ聞きですね♪
今のところ一番好きな曲は「HANDS」という曲。これはもう~10代の頃に出会いたかった!!!そのくらい素晴らしい曲ですv

ブルエンはアニメのOPとかもやっていたそうなので(銀魂とか)知っている方も多いと思うのですが、私はTSUTAYAでオススメされてたのでなんとなく借りてハマりました。本当にTSUTAYAのオススメには今まで何度もやられてますね…(笑)でも誰かのオススメでここまで心に刺さったのは久々です!

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相手にとって最後の存在になることの男女比

ブルエンのアルバム「≒」の中に「EVE」という曲があるのですが、この曲の中にちょっと気になる歌詞があるんですよ。それがこれです。

君の「最後」に僕はなりたい 初めて誓えた

※全歌詞はこちらでどうぞ♪→http://j-lyric.net/artist/a0587d4/l036b37.html

 

この歌詞を初めて聞いたとき、ちょっと耳を疑ったんですよね。なぜかといえば、オスカー・ワイルドはこう言っているのです。

男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。

これはすごくよく分かる言葉ですよね。
男性は、他の男の匂いのしない女性の処女性を欲している。一方女性は結婚をゴールとしているので自分以降他の女性を選んでほしくはない。

思えばこれはどちらも「自分が唯一の存在になるために」そう思っているわけです。それなのにだいぶ考え方が違いますよね。

で、ここでブルエンの歌詞を思い起こすと、彼は正反対のことを言っているわけです。男性でありながら「君の最後になりたい」と。この言葉を男性側から聞くことがあるなんて!と私は正直すごく驚いたんですよね。

もちろん男性だって「この人と結婚したい!」と思ったらそこが最後なわけですから、まったくこの言葉がでないわけではないとは思いますが、まあ稀なのではないかと思います。結婚後に不倫する人もいるかもしれないですしね…(笑)

100%の「好き」ってどんな「好き」?

このアルバムはもうすごく聞きこんでるんですけど、今日ふと聞いていたら何だかしみじみと「ここまで人を愛せるって幸せだな」って思ったんですよね。

以前なにかの小説コメントでも書いたんですけど、私には昔からどうしても理解できない感覚があって、それが「好きの最高値はどこなのか」ってことなのです。

恋愛的に誰かを好きになったとき、たぶん誰もが「この人が一番好き」と考えていると思うんですよ。実際順番なんてつけていなくても、他の誰の追随をも許さないほどその一人の相手を「好き」なんだと思うんですね。

ところが私の場合「本当にこれは100%の好きなのだろうか?」ということが疑問になってしまうんです。

確かに好きなことは好きだし、他の人と比べても断然その人が好きだと思う。しかしもしかしたら80%の好きしかないかもしれない。もしその相手に対し80%の好きしかないとして、また別の人と出会ったときに90%の好きを感じたとしたら、その相手に対して発した「好き」は嘘になってしまうんじゃないか…とか思ってしまうんですよね…(笑)めんどくさいですね(笑)

でもそもそも100%の好きって存在しないのかも…とも思っています。

だって本当にその人が好きで好きで仕方ないときって、たぶんもう「その人になりたい」んですよ!(笑)

「自分と相手がいる」んじゃなくて、本当に一心同体になりたいって思う。それはもう同化したいってことで、「私があなたをすき」というより「あなたになりたい」なんです。

でも物理的にそんなことできないし、結局体を合わせるくらいしかできないわけですよね。そうすると「ああ、別物なんだ私たちは」ってガッカリするんです。一生一つにはなれないんだ、と。好きであればあるほど、永遠に離れ離れであることを実感するんですよね。

そんなわけだから、「どのくらい好きか」を考えるのは不毛なのかも…という気がしないでもないです。

 

しかしともかく、相手の最後の人間になりたいと切望するほど誰かを好きになれるってことは幸せだと思うんですよね。だって、自分のことで精一杯なときって誰かのことを考えられない。自分のことで手一杯な人は誰かをそこまで愛せないです。

誰かを心から愛せる人は、自分が満たされている人です。

 

私は趣味でよく怪しい自己啓発書とか(笑)ビジネス書とか読むんですけど、そういうのを読むと大体最後は「社会貢献しましょう」と書いてあるんですよ。成功した人達はだいたい社会奉仕の事業をしていますし、企業として募金していたりします。

どうしてこれができるかといえば、満たされているからですよね。自社がそれだけ安定していて満たされているから、では社会にもこの幸せを分けようってことができる。自分以外の何かに愛をかけられるというのは、自分が満たされてようやくできることだと思うんですよ。

ちなみに「自分以外の何かに愛をかける」っていうのは、趣味とかもそれに近いですけど、本質的にはそれは愛じゃないと思っています。

例えば好きな作品のグッズを買ったり書籍を買ったりすることは、その作品を愛しているからだといえなくもなさそうですよね。特に大枚を叩いている場合なんかは、その作品に大貢献している状態です。でもこれは「自分を満たす為にそうしている」状態なので、愛は愛でも自己愛ですね。

「好きという感情が分からない」ということ

前述したとおり、私は「本当にこれは100%の好きなのだろうか?」ということが疑問になってしまうから、「本当の好き」がいまいち判別できないことが多いです。これは考えれば考えるほど泥沼化していって、最終的には「好きとはどういうことなのか」というのが良く分からなくなるんですよね…とても困る!(笑)

これは、「LIKEかLOVEかわからない」という悩みとはちょっと違います。好きという感情そのものが感じられないという、ある種病的なものともまた違うと思っています。

今気になってネットを調べてみたら、好きという気持ちが分からない人が増えていると出てきて驚きました!「えっ、そうなの!?いつの間に!?」という感じです。

だってですね、いつだったか元SMAPの草彅剛さんがまさに「好きという感情がわからない」といったことを仰ってたんですよ。私は「なんとなくわかるな」と思ったのだけど、ネットはもちろん彼を批判しました。いい大人が何を言ってるんだとか、おかしいとか…それを見て、ああ、やはり好きという感情が理解できないというのは異常なのかと漠然と思ったのを覚えています。

何かを好きになれるって、一つのスキルだと思うんですよね。
いや、もしかしたら生まれたときには誰だって何かを好きになれる力を持っていたかもしれないけど、たぶんそれらの力って使わないと衰えていくし、成長過程で何らかの不具合があればせき止められちゃうものだと思うんですよ。

「自分はこれが好きです」って公言することは一つの自己表現でもあると思いますが、現代のネット社会ではその発言も一歩間違うと大変なことになりますよね。人から否定されると、好きだったものが嫌いになってしまうということもあります。つまり「好き」って、意外と覚悟が必要な感情だと思うのです。

「好き」を表現できなくなるって、ある意味では保守的な気持ちが過剰になった結果のような気もします。自分に覚悟がないと「好き」になれないし、自信がないと「好き」って言えない。

もし一度それを口にしたら、周囲から「あなたはそれが好きな人だったよね」と見られるわけだから、周囲の目を気にしすぎる人なんかは「好きがわからない症候群」に陥りやすいのではないかと思います。

 

恋愛の「好き」は比較的分かりやすいと思うのですが、これは妄想によるところが大きいと思います。いわば自分の脳を騙すというか!(笑)

例えば片思いなんかは、「自分のことをどう思っているか」とかを悶々と考えて、何度も何度も相手のことを考えるからこそ「どうやら自分はあの人のことを好きみたいだぞ」となっていくところが大きいと思うんですよね。好きだから考えるのではなく、考えまくった結果好きになったわけです!

しかしここで「相手が自分を嫌っている」という情報が入ってきたらどうでしょうか?それでも好きといえる人もいるでしょうが、だったらいいや…となる人もいると思います。後者パターンの人は「相手から好かれている妄想」をして盛り上がっていた分、予定通りじゃないならいいや…となるわけですよね。

つまり、思い通りになってほしかった。
思い通りにならないなら、傷つくし、面白くないからいいや。
告白でもしてふられたら周囲に何て思われるかわからない。
あれ、でもさ、よくよく考えたらそんなに好きじゃなかったかもしれない。

…とか、こんなふうになっていく。

この最後の「よく考えたらそうでもないかも」って、私はよく周囲の人の口からも聞くんですけど、これは守りの言葉だと思うんですよね。

結局思い通りにならないなら好きじゃないんです。でもそれって本当の好きでしょうか?思い通りになるものだけが好きなものなのか?どうでしょうか?

ともかくこうやって、傷つきたくないという保守的感覚が勝っていくと、「思い通りにならないなら好きじゃないってことにしとこう」というふうに毎回このパターンに陥ります。そしていつの間にかこれがクセになってしまうんです。そしてやがて、本当に「何も好きになれなくなる」んです。

実際、私自身が少し前までこれに陥っていましたが、本当にこれは危険です。何も思わなくなるんですよね。何も好きになれないし、興味も持てない。あー好きってどんなかんじだっけ?っていう…(笑)

「好きがわからない症候群」脱出方法

わたし自身、何にも興味が持てない期間がそこそこあったのですが、たぶん今はほぼ脱しました。去年、唐突に「うわ~これ好きだ!」って思えるものに出会ったんですよね。

好きかわからない症候群にかかっている人で、そこから脱したいと思っている人…たぶんいると思います。まあそういう方がこのブログにたどり着いて、しかもここまで長々読んでくださるかどうかは謎ですが、もし気になったら参考にしてやってください。まあ単なる個人的脱出方法ですけど…(笑)

<脱出フロー!?>

★「好き」じゃなくても、少し興味をもったらトコトン調べる・見る・考える。片思い状態を作って脳をだます!(笑)

★興味がある・好きであることを発言する(ネットでも可)これによって良い反応が返ってくるとその対象が好きであることに自信を持てる。

★ただし物事に否定的なタイプの人・ルールを課してくる人にはその話はしない方がいい。どうしても報告が必要な場合は、好きであることに確信が持てるようになってからにする。じゃないと否定されて「じゃあいいや」に陥ったり、「好きだったらこうするのは当然」などと言われて自信を失ったりしてしまう。

★基本的に「~しなければならない」「~してはならない」などの完璧主義的思考を捨てる。例えば「今はこれに集中しなければいけないので好きになっている暇はない」といった考えをしているとそもそも好きになる機会を逃す。心が固くなっているとダメ!

★ちなみに心を柔軟にするためには、何がしかの成功体験を積むのが良い。誰かに褒めてもらうとかでもいいかも。ただし、イイネをもらいたいだけの「承認欲求を満たしたい中毒」になったら絶対ダメ!承認欲求モンスターは心を滅ぼす!もっと好きになれなくなってしまう!

 

私の場合たぶんこんなものでした。これ好きだなぁという気持ちを咲かせるには、やはりそれなりの土壌が必要だと思うんですよね。例えばどんなに素晴らしい景色が広がっていても、ドアが閉まってたらそれは見えないわけで。それでもドアがゆるかったらちょっと開けてみて様子を覗けるんだけど、もう~固く鍵が締まってたら覗くことすらできないというか、「どうせ無理だからいいや」になるわけですよ!

やはり心が柔軟であることはすごく大切だと思います。完璧主義だと「こうしなくてはならない。(なぜならそうしなければ自分は認めてもらえないから)」という思考があって、これを解消するにはどうしたって「そこまでしなくてもいいじゃん。もう既に君ってすごいんだし」が必要なわけです。

だからこそ成功体験を積むのが良いってことなんですけど、完璧主義はここでも「完璧に準備して必ず評価されなければならない」というふうになりがちなんですよね。8割で良いと思ってもなぜかできないっていう…あれ何ででしょうかね(笑)

でももうここはやるしかない。とにかく動くしかない。動かないと答えが出ないし、答えが出ないと作戦がたてられないからです。動いたあと傷つく結果がでたとしても、もうそれも受け入れるしかない。覚悟しかない。

私の友人いわく、何度もチャレンジし続けていると傷つくのも慣れるそうです。しかしその結果その友人はその分野でプロ級になりました。

 

好きになれないって、年齢によっては老化もあると思うんですが、大体は心の疲労とかちょっとした不具合が問題ではないかと思います。まあこれを解消したところで、私としては「どこが最高値の好きなのか」という問題は解消しないわけなんですけど、とりあえず何かを好きになれるというのは良いなと思いますね。

そんなわけでようやく冒頭に戻るのですが、BLUE ENCOUNTの歌詞のように心底誰かを好きになれるっていうのは素晴らしいと思います。人によっては、50%の好きで結婚する人もいるだろうし、いやいや120%だって人もいるかもしれない。

しかしともかく胸を張って好きだと言い切れるその自信と覚悟がすごいと思うのです。だって、好きって気持ちがイイネだったとしたら、その相手は自信満々のイイネを受け取るわけですから。それはきっと相手を満たすでしょう。相手を幸せにできるのは自分が満たされている人だけです。つまりそれが、愛なのかもしれませんね。

 

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